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June 17, 2007

『sky blue sky』Wilco
鈴木淳哉

[ music , photo, theater, etc... ]

 新作のリリースを聞いて嬉しくなるようなバンドが年々少なくなっていく。そんな思いは誰にでも共通していることかもしれないが、私にとってwilcoはそんな数少ないバンドのひとつだ。
 このバンドにぞっこん参ったのはジム・オルークによってプロデュースされた前2作を聞いてだった。だからバンド名義のセルフプロデュースである今作を聞いてまず思ったのは、やはり前2作をジム・オルークというフィルター越しに聞いていたのだということだった。
 タイトルからのやや短絡的な連想になるが、前2作の中に感じた「深さ」へのベクトルをもつ力が、『sky blue sky』ではそのまま向きを転じてより開かれた聴衆へ向けられているような気がする。そこで、ジム・オルークの手を離れた本作がより具体的にwilco という「バンド」の音像を結像していると仮定してみると、まず聞こえてくるのは、空間系のエフェクトを排したネルス・クラインのギターの音色である。そこから全体を見回せばエレクトリックギター以外にそれとわかるようなエフェクトは極力抑えられているようだ。アコースティック楽器を中心に奏でられるサウンドにエフェクトのかかったギターでアクセントをつけるという常套手段によって、整然と構築されたバンドサウンドの美しさは引き裂かれる。こうした方法を用いながらなお彼らが陳腐さを回避しているのは、根本にある美しいサウンドの構築そのものの巧みさと、そこに拮抗する、または寄り添うジェフ・トゥイーディーのギターの演奏によってであろう。ジェフのこのサウンドに対する確信の強度、言うなれば彼の抱える偏頭痛そのものといった感じの音色。バンドを必要としなかった頭痛持ちのギターマンが、やっと巡り会えたバンドの中で活き活きと動き回っている。そんなロマンティックな風景を束の間思い描き、その後すぐに、頭痛によって空がますます青くなるなんてことはなく、空の青さがこの頭痛の存在が疑いようもないことを知らしめるに過ぎないのだと思い直す。