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July 3, 2007

『ボルベール』ペドロ・アルモドバル
梅本洋一

[ cinema ]

 『キカ』『私の秘密の花』あたりから、アルモドバルは、キッチュで「罰当たり」で「変態な」映画作家から、現代映画きっての「メロドラマ作家」へと次第に変貌していった。もちろん、その背後には、アルモドバルの成熟もあるのだけれど、それ以上に、時代の変化が大きいと言えるだろう。同性愛も性転換も近親相姦もそれだけでは、スキャンダラスな話題であり得なくなった時代にぼくらは生きている。かつてなら、それだけで「反社会的」だったことが、そうしたことを内包した社会に変貌を遂げてきている。アルモドバルの映画が綴る物語の内容はそれほど変わっていないのだ。
 だが、それでも、この作家の成熟ぶりを検証しなくてならないだろう。これ見よがしのキッチュさはなくなっている。両胸だけが開き、乳首だけが露呈したボンデージの上にテレビカメラが乗っているという、かつてビクトリア・アブリルが身に纏っていた奇妙奇天烈な衣裳など、最近のアルモドバルのフィルムからは想像できない。中心に据えられているのは、ロッセリーニ的なレアリスムである。現代のスペインの都市や田舎の生活の綿密な描写。80年代の彼からはとてもロッセリーニといった固有名など思いつかなかった。そして、同時に、表面的な意匠のみが目立っていて、そこに語られる物語の「メロドラマ性」などに気付かなかったと言ってもいい。だから、その意味で、『私の秘密の花』で、あからさまに『イタリア旅行』と『ベスト・フレンズ』が、つまりロッセリーニとキューカーが引用され、そのふたりへのアルモドバルの帰依にも近い姿勢が明瞭になったとき、ぼくらは、この映画作家の「血統の正しさ」を認識したのだった。スペインというかつてルイス・ブニュエルを生んだ「辺境」出身の、オトディダクトな映画作家だと考えられていた──つまり、彼の血の濃さは他の地域と関係を持たないがゆえの独自性の証──彼が、「映画史」でもっとも困難な葉脈から潤沢な滋養を得ているという事実を前にして、ぼくらはとても幸福な驚きを感じたのだった。
 今回、アルモドバルがペネロペ・クルスに託したのは、「メロドラマ」の原義としての音楽性であり、そして同時に、その体型と眼差しの鋭さからアンナ・マニャーニの姿であることは、だから彼の歩みからすれば当然の成り行きである。フィルムの後半、ライムンダ(クルス)が一時的に経営するレストランのテラスで、ギターの音色を聞きながら、自分の歌を思いだし、それを大勢の人々の前に歌い始めるとき、涙を流すのは、ライムンダの母親ばかりではない。歌を思い出す=メロドラマを思い出すぼくらでもある。そして、死んだはずの母親が眺めるテレビのモニターに見えているのは、アンナ・マニャーニ主演のあのヴィスコンティの『ベリッシマ』だ。母と娘の再会と和解。あるいはアルモドバル映画におけるカルメン・マウラからペネロペ・クルスへの権力の委譲あるいは伝承。自らの故郷であるラ・マンチャに回帰し、その強風に流されながら、アルモドバルは明らかに古典的な風格を備えつつあるようだ。