『宿澤広朗 運を支配した男』加藤仁梅本洋一
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このサイトにも宿澤広朗の追悼を書いたことがある(2006年6月17日)。そのときに「ジャパン対サモア戦のある日になんで登山に行ったのだろう」と文章を締めくくったことを覚えている。実際にラグビーをやっていたわけでもないのに、本業をできるだけ早く片付けてテレビの前に座って、何十年も観戦を続けているぼくよりも、「名選手にして名監督」だった宿澤は、ラグビーのゲーム──しかもジャパンのゲームだ──に関心をもっていて当然だろう。なのに、なぜテストマッチの日に「趣味」に走ったのか。それが疑問だった。
そんな疑問を解くために、この本を読んだ。ビジネス書だ。丸善のノンフィクションの売り上げで今週4位。ぼくはビジネス書のコーナーにも行かないし、ベストセラーのノンフィクションなんて読まないのに。この本には、三井住友銀行のサラリーマンとしての宿澤広朗が描かれている。ロンドン支店時代のトップディーラー、大塚駅前支店長時代……出生していき、同期のトップを切って「専務」──つぎは「頭取」だ──にまで登り付けた銀行員の姿を描いている。「負けず嫌い」で、不敗神話を誇るディーラーとラグビーとの関係や、銀行員という仕事をまっとうする宿澤の「生き様」が描かれている。
そして、宿澤が突然「日本ラグビー協会役員」を「解任」された件があり、もちろん、このことが宿澤をラグビーから遠ざけた原因だろうと推測できる。学閥──真下専務理事や勝田前強化委員長の筑波閥の支配──や町田徹郎前会長の死去といった出来事の中で、宿澤の路線は徐々に抹消されていき、森喜朗会長が誕生するまでの間に、宿澤の「解任」がどこかで決まったのだろう。その反対に旧住友銀行では磯田会長にかわいがられ、西川頭取に大きな仕事を任されながら成長していく宿澤の姿がこの書物からよく見えてくる。
ただ、この本を読んでもぼくはぜんぜん納得できない。三井住友銀行の頭取よりも、ジャパンの監督の方がぜったいに「偉い」と思うからだ。銀行員の仕事でも、確かに宿澤は優秀だったろうし、得がたい人材だったかもしれないが、宿澤が亡くなっても三井住友銀行は立派に存在している。ジャパンは宿澤以来ずっと低空飛行が続いている。89年の暑い午後にスコットランドXVに勝って以来、旺年の名ロック林敏行の言うノーサイド後はグラウンドに倒れて起きあがれないくらいの「泣けるゲーム」をしていない。JKも頑張っているが、オーストラリアAにもジュニア・オールブラックスにも大敗の連続だし、力を出し切って起きあがれない選手なんてひとりも見たことがない。マネーマーケットで勝利を収める「匿名的」な仕事よりも、W杯で決勝トーナメントに進めるチームを率いる「固有名的」仕事の方が決定的な重要なことだとぼくは思う。つまり、宿澤広朗とぼくは人生観が異なるのだ。
メガバンクの頭取や東洋の島国の総理大臣なんかよりも、代表のチームの監督の方が素敵だ。もしラグビー協会に派閥争いや下らぬ権力闘争や学閥がなく、宿澤に再び代表の監督が依頼されたとしたら、彼は引き受けたろうか。この本を読む限り、彼は引き受けなかったのではないか。とても残念な気がする。