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July 22, 2007

アジアカップ準々決勝:日本対オーストラリア 1-1(PK4-2)
梅本洋一

[ cinema , sports ]

 オージーはこの日トライネイションズ、アジアカップで代表チームが連敗。もっともトライネイションズの方は、相手がオールブラックスなので、まだ傷は浅いかも知れないし、もともと勝つ可能性はそれほど大きくなかったし、その健闘は称えられてもいい。だが、アジアカップでのPK戦敗退は、このチームのこれからの方向性を決めるのに、大きな瞬間になるだろう。オーストラリアはわざわざアジアサッカー連盟に加盟し、W杯ベスト16の試金石が、このアジア大会であり、ぜったいにカップを持ち帰るために東南アジアにやってきたはずだ。そして、この日のゲームは、対日本相手に圧倒した昨年のW杯に比べて、このチームがかなり下降気味であることを感じさせた。
 もちろん延長を含めて120分を引き分けたことは事実で、それは延長の30分間を「専守防衛」に費やし、それに成功した(そういえばトライネイションズのワラビーズのディフェンスもとても良かった)ことを意味するが、同時に、日本の最後の詰めの甘さをあぶり出すことになる。一番大きな問題は、多くの人々が指摘するように、高温多湿な気候もあるだろうが、それよりも大きいのは、アーノルド監督が、ヒディンクとは手腕の面で大きな差があることだろう。W杯では同点に追いついてから、次々と選手を投入し、日本のディフェンスを混乱に陥れたが、このゲームでは、ひとり退場になってから完全にPK戦狙いで、ゲームを殺しにかかっていた。キューウェルの相手をバカにしたような「時間稼ぎ」は、レフリーや観客を味方にすることはないだろう。それにいつまでもヴィドゥカ、キューウェルではなかろう。もう別の戦術に切り替えなければ、アジアからW杯に行くのは難しくなるのではないか。多くの選手が活動する欧州とオーストラリアの距離も問題になるだろう。
 そして日本。PK戦で勝利をつかむのは、3年前のアジアカップと同じだし、川口の「神懸かり」も同じなのだが、4試合連続してこのチームを見てくると、このチームの「型」がとてもはっきりと浮き上がってくるのが分かる。とにかくポゼッションし、諦めずに、だが無手勝流で戦った3年前の代表とは、「型」があるかないかにおいて大きく異なっている。では、その「型」とは何か。
 ボールを奪うとまず憲剛。彼が両サイドバックか、両センターバックかを選択し、ボールを送り出し、駒野-遠藤、あるいは加地-俊輔のパス交換を促し、それに連動して、2トップが動き出すというものだ。その意味でこのチームのキーマンは間違いなく憲剛である。アーセナル時代のパトリック・ヴィーラか、チェルシーのランパードというイメージ。そしてテクニックのある両センターハーフがチャンスメイクする。啓太は専守防衛。そういう役割分担がしっかりできてきたようだ。このチームにもっと伸びシロをつくるとすれば、駒野、加地がより中央に絞り、シュートで終われるプレーができるようになり、憲剛がもっと「仕留め」に絡めるようになることだ。
 メンバーを固め、「型」を覚えさせることを選択したイヴィチャ・オシムは、本気でアジアカップを持ち帰りたいようだ。ゲーム中に抜かれる彼の表情を見ていると、誰よりも「負けず嫌い」なのはオシムその人であることが分かる。