ベルイマン、アントニオーニ追悼梅本洋一
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大往生とは言え、ふたりの巨匠が同日に亡くなった。アントニオーニは『ある女の存在証明』以降のフィルムは、正直言って退屈の一語──目が見えなくなってしまったので仕方がない──だが、ベルイマンは何度も「遺作」を撮り、『サラバンド』が本当に「遺作」になってしまった。
このふたりについて少しばかり真摯に書いてみよう。「真摯に」というのは、ある一時、ぼく(ら)がふたりのフィルムをしっかりと見ることができなくなった時間帯があるからだ。周知の通り、ぼく(ら)は、蓮實重彦の完全な影響下にあった時代がある。このふたりのいわゆる「不条理」で「コミュニケーションの不在」を示すフィルムは、それらの封切られた同時代には、それなりの評価があり、ぼく(ら)は、理解できないものの、それらのフィルムを一応大事に見たものだった。だが、蓮實重彦の批評を読み、ぼくらの理解できない「深遠さ」など実は、大したことがないことだと信じて、以来、それほどしっかりと彼らのフィルムを見なかった一時期があった。これは正直に告白しておかなくてはならない。
だが、それからだいぶ経って、ベルイマンの初期の女性映画の一群を連続的に見たり、アントニオーニの絶頂期のフィルムを再見したりするうちに、少しずつ彼らのフィルムの持つ重要さが理解されはじめ──否、理解ばかりではない、ぼくが彼らのフィルムと共振できるようになってきた、と書いた方が適切だろう。アメリカ映画を全面肯定するがゆえにベルイマンとアントニオーニを否定するのでなく、映画の持っている可能性の大きさを彼らのフィルムを見ることで再認識すると言えば分かってもらえるだろうか。
もちろん、ふたりの方向性は異なる。アントニオーニは、何よりもネオレアリズモ以降の映画のモデルニテをもっと遠くまで徹底して推し進めた。彼のフィルムに出現する都市と現代建築とその空間性の中で展開する時間の稀薄さは、何度見ても感嘆する。無機質で人の気配が薄くなってきた現代の都市──それは反対に人口過剰を抱えているのだが、彼のフィルムは、その過剰さの背後にある稀薄さを見事に捉えていると思う。そうした稀薄さを受け継ぐ映画作家は、エドワード・ヤンくらいしか思いつかない。ひょっとしたら、黒沢清も秘かにアントニオーニが好きなのではないか。
そしてベルイマンの評価は、もちろん彼の初期の『夏の遊び』や『夏の夜は三度微笑む』といった「青春女性映画」の瑞々しさによって、大きく変化したこともあるが、それ以上に、彼の舞台演出に直接触れたことが大きな原因だろう。スウェーデン王立劇団を率いて彼が演出したシェイクスピアの実にチェーホフ的な『十二夜』は、ぼくが見た『十二夜』の舞台の中でベストだ。以来、狭い空間の中で俳優と女優が交わす「言葉の劇」に何の問題もなく入り込むことができ、彼らの言葉に心底感動した。ぼくが歳をとったせいかもしれない。
とりあえずぼくは彼らのフィルムに誠実につき合うことができなかった一時期があるので、まだまだ彼らのフィルムについて大きな借りを持っている気がする。その画面構成や編集などといった映画の技術的なことがらよりも、彼らのフィルムを最近再見すると、もっと大きな映画の外側にも横溢した世界が広がっていることが分かる。それについては、映画作品を映画内的に語るのとは別の方法と方向が必要なことは当然だ。ぼくはまだまだふたりに借りがある。