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August 8, 2007

『SOUTH』安田南
梅本洋一

[ cinema , music ]

1974年の2月に南青山にあったジャズクラブ、ロブロイでのライブ版の復刻。安田南のこのレコードや続いて出た『Sunny』を愛聴版にしていたぼくは、かなり前からCDリリースを待っていた。大里俊晴から「出たらしいですよ」と聞いてタワレコに走った。
 歳をとったせいか70年代のことをとてもよく思い出す。大学に入ってからこのライブが録音されたロブロイ──安倍譲治がやっていたジャズクラブ──や六本木のミンゴスムジコというクラブにもよく通っていた。ヴァーカルが好きだったぼくは、特に安田南が好きだった。当時、FM東京の深夜番組(月曜深夜1時から3時)で片岡義男と安田南がやっていた「きまぐれ飛行船」を毎週聞いていたこともあるだろう。エルヴィン・ジョーンズが実は手が悪くて、シンバルの周囲に鈴を張って、手数の少なさを補っていたこと。片岡がビル・エヴァンスを聞いたとき、それ以前に買ったレコードを全部捨ててしまった話をしながら、『いつか王子様が』や『ナーディス』を聞いたこと。深夜、ベッドの上でヘッドフォーンをつけてふたりの話を聞きながら、まったく別の世界が広がっていったのをとてもよく覚えている。
 そして、今でもぼくは片岡義男のファンだ。彼が「ワンダーランド」で連載していた小説『ロンサム・カウボーイ』や『ぼくはエルヴィスが大好き』はときどき読み返している。出版社では晶文社華やかなりし頃で、安田南が書いた『みなみの30歳宣言』も発売を待って買い、電車の中ですぐに読んだ。安田南は俳優座養成所を中退して、黒テントの芝居などにも出ていた。当時、黒テントを指導していたひとりであり、晶文社の編集者でもあった津野海太郎さんが編集したのではないだろうか。
 ロブロイのことはあまり覚えていないが、ミンゴスムジコのことはとてもよく覚えている。山本剛トリオをバックに登場した南。ピアノの上に灰皿があって、セブンスターを吸いながら、南は唄った。『South』に入っているものだと、『Good Life』や『Summer Time』、そして、途中から『September In the Rain』になる『Yes, Sir, It's My Baby』などを聞いて、なんて格好いい女性なんだろうと思った。ぼくより10歳年上だった。休憩で六本木の深夜の舗道に出て冷たい空気を吸っていると、小走りに南が出てきて、急いで前にあった「Hamberger Inn」に入っていった。腹ごしらえをしていたのだろう。『Bei Mir Bistu Shein』という歌──もともとユダヤのミュージカルの歌だったらしい、トリュフォーの『終電車』でも効果的に使われていた──にあったdevotionという言葉がとても気に入ったことも思い出す。何杯もウィスキーを飲んで、アルコールの勢いもあって、表に出て、公衆電話から当時の彼女に、「ずっと君にdevotionするから」って電話したこともあった。深夜に酔っぱらった彼からそんなこと言われても迷惑だったと思うけど……。いつもとても良い時間が持てた。
 1978年に安田南は消息不明になった。ぼくも個人的事情があって、78年からしばらく日本にいなかったのでそんなことはまったく知らなかった。数年後に日本に帰ってからはなんだかずっと忙しく働いていて安田南のことなど忘れていた。ネットサーフするとその後の安田南のことを知っているのは森山大道だけだということ。今、どうしているのだろう。この復刻版のCDを聞いているといろいろなことを思い出す。そういえば、アメリカ文学の翻訳者である青山南という人がいるが、そのペンネイムは安田南からとったんだ、と当時、友人の酒井くんから聞いた。