原爆は物語を拒絶する ——〈東京日仏学院での対話録〉舩橋 淳
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8月4日、広島原爆投下の2日前、長崎原爆投下の5日前に、「映画においてヒロシマを表象することの不可能性を超えて」と題される座談会が東京日仏学院で開催された。オペラ「蝶々夫人」のメーキングビデオ、『吉田喜重 オペラ「マダム・バタフライ」と出会う』上映に続き、ミシェル・ポマレッド氏、吉田喜重監督、岡田茉莉子氏、青山真治監督によるトーク。鋭利な知性が集った濃密な時間であった。ここではその内容を紹介するとともに、私感をまとめてみたいと思う。録音テープではなく、手書きメモから起こした対話ログなので、語の正確性に欠くところもあるが、ご容赦願いたい。
まず司会であるミシェル・ポマレッド氏が、問題提起をする。
原爆はピカドンと呼ばれているが、それはピカ=光、ドン=音の結合である。そして、映画もまた光と音の結合である。吉田監督は映画『さらば夏の光」』、『鏡の女たち』、オペラ「蝶々夫人」、短編「リュミエールの子供達」で4度原爆を取り上げたが、映画で原爆を描く上での美学、そのようなものがあるのかどうか。あるとしたらそれはどのようなものなのか、お聞かせ戴きたい。
それに対し、吉田監督は答える。
私は福井の空襲で、焼夷弾の嵐の中を逃げた経験がトラウマのように残っています。しかし、燃え盛り降ってくる焼夷弾はそれを見て走って逃げることができますが、原爆は一瞬にして全てを焼き尽くすので、逃げる時間も与えられない。あのピカという光を見た者は一瞬にして死に至るか、後々まで身体を蝕む放射能汚染を負う。だから、原爆を受けた当事者によって原爆が描かれるということはありません。ホロコーストと原爆は、人類が表象できない2つのものなのです。
さらに青山監督が続く。
原爆は自分が生まれる以前の出来事です。しかし、それにも関わらず、自分の無意識に深く刷り込まれています。小倉出身の母が、長崎の原爆は当初小倉に落とされる予定だった、それが実現していたら私もお前も存在していない、と何度も語り聞かされました。自分は遅れて来た世代にも関わらず、原爆への怖れは深く刻まれている。光と音を記録する装置である映画は、常に遅れて来る。ピカドンもその閃光、爆音をその瞬間そのものを記録・体験することはできない。ここで浮上するのは、映画はいつも遅れて来ずを得ない、ということです。
ミシェル・ポマレッド氏が、両監督の映画について、具体的に尋ねる。
ピカ=光を見たという人は多いが、ドン=音を聞いたという人はあまり多く聞きません。その光と音の誤差、その間に原爆が存在するのでは、と考えます。「鏡の女たち」では原爆の強烈な閃光から身を守るように、主人公・片瀬愛は白の日傘を差している。また、トラウマを抱えた3人が旅をする『EUREKA』の光は、原爆で焼き尽くされたかのように、脱色された、セピア色である。この、映画が光をどう捉えるかという問題について、吉田さん、青山さんの考えを聞かせて下さい。
吉田監督が、まずその前に岡田茉莉子さんの戦争体験を語ってもらいましょうと、話を岡田さんにふる。
1945年の春、疎開先から女学校の入試を受けるために東京に戻りました。その翌日、東京大空襲に遭いました。防空壕に避難して、乾燥芋といわれるものをかじりながら、一夜を明かしました。翌日、戻ってみると自宅の周りは大丈夫でしたが、他は辺り一面焼け野原。その後、東京から新潟に移り、空襲のため、さらに山奥の農村に移らざるを得なくなりました。その時、新潟の市内は猫の子一匹もいなくなってしまったと言われました。必死の思いで、農村へ逃げ延び、ある農家の馬小屋の横の板の間をお借りしました。そこで寝泊まりしているところで、終戦の玉音放送を聞いたのです。
思わず観客から拍手が起きる。やはり岡田さんの語りは圧倒的である。
吉田監督が言葉を継ぐ。
蓮實重彦さんに、先日東大で行われたシンポジウム(「ユビキタス・メディア:アジアからのパラダイム創成 ーー The Theory Culture & Society 25th Anniversary」、http://www.u-mat.org/、著者註)で話された基調講演の原稿を送っていただきました。正確なタイトルかどうか自信がありませんが、「フィクションと表象不可能性」だったと思います。そこで私が最も感動したのは、映画には本来光しかなく、音はなかったということです。映画はサイレントとして生まれ、そこには言葉は存在しなかった。人は映像を見て、いろいろ解釈ができた。解釈の自由がそこにあり、一つの言葉に還元できない、表象不可能なものでした。そして、トーキーが生まれ、言葉が付加された時点で、その解釈の自由が断たれてしまった。言葉は意味を伝達するものであり、その意味について議論することはできますが、基本的に解釈の自由を与えない。私は19本映画を撮りましたが、そのうち近作3本を除く、16本はサイレントとして作っています。録音はしていますが、編集の段階ではその音は全く無しで切っている。まさしくサイレント映画を切るように、フィルムを編集したのです。ミシェルさんの質問について私なりにお答えすると、「鏡の女たち」の白い日傘や、鏡の光、私の映画には眩い光がたくさん出てきますが、それはどこかあの原爆の強烈な閃光を意識したのかもしれません。そして、強烈すぎるあの光を目にした人々は、音を聞いているとは思いますが、あまりにも凄まじいために、聞いていないように感じたのでは、と思います。
青山監督が『EUREKA』について話す。
大袈裟なことを言うつもりはないので、大言壮語として聞いていただければと思いますが、『EUREKA』の白と黒のモノクロームは、原爆を含め、日本の歴史がそれまで引き継いできた全ての悲劇に対して、喪に服すという意味が込められています。そして、作品の最後で、世界が色を取り戻します。言葉を失ったこずえという少女は、言葉を取り戻す。つまり、モノクロのサイレントが、カラーのトーキーになるわけです。しかし、世界が色を取り戻し、希望に満ちたハッピーエンドだとは思っていません。そこからまた新たなカラーの世界の困難が始まるわけです。だから、そこをスタートとして新たな困難に立ち向かってゆくんだ、という感じで考えています。
ポマレッド氏は、さらに両監督の作品における女性の問題へ言及する。
吉田監督、青山監督の作品では女性がとても重要な役割を担っています。青山監督の『サッド・ヴァケイション』は素晴らしい女性・石田えりが描かれていますし、吉田監督は女性の情念〈Passion caché〉をずっと追求されて来ている。また、女性が記憶の担い手になっている、という点も注目したいと思います。『鏡の女たち』『さらば夏の光』では、女性が過去の記憶の語り部となっており、『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』では、岡田茉莉子さんがある一つの語りの主体であり、宮崎あおいさんが未来への記憶の担い手でした。その点についてのご意見をお聞かせください。
吉田監督の回答。
私が原爆を描くことの不可能性に対する怖れ、私の言葉で言いますと、畏怖の念についてお話ししたいと思います。先ほども申しましたが、原爆のピカを見た人はみんな死んでいる訳です。つまり、生き延びた人間が死者に向かってその体験がどうだったか、尋ねることはできない。生死を挟んだ人間同士の対話は不可能なのです。そして、死者達の怒りのようなものがわれわれ生き延びた者を沈黙させてしまう。批判ではないのですが、原爆を描く大半の映画やテレビは、キノコ雲を見せます。そうやって原爆を映画で再現できる、と信じている。しかし、原爆はそのようには描くことは決してできないものなのです。原爆を描いた映画というのは存在しません。唯一、存在しうるのが、あのマルグリッド・デュラスとアラン・レネが作った『ヒロシマ・モナムール』。あの作品でアラン・レネは、原爆を見せないで、描くことはできないかと考えました。つまり、原爆という悲劇の重みをアウシュビッツの悲しみに重ねて、かろうじて何かが表現できるのではないか、と考えたわけです。それほど、死者が不在である原爆を語ることは、難しいことなのです。原爆は安易に物語の中に組み入れることができるものではないのです。あの白い光、凄まじい閃光が、物語を拒絶している、と言えるかもしれません。先ほどの話と重なりますが、映画は光のみから生まれました。音は存在せず、サイレントでした。私の映画に眩い光が何度も登場するのも、それだからでしょうか。映画は光を描くものであり、そして、女性を描くものであると思います。ミシェル・ポマレッドさんのご質問にお答えすると、女性はもっとも権力から遠い存在です。だから、女性が語り部となり、権力から最も離れたところで、映画は撮られるべきなのです。映画が権力の手に渡ると、プロパガンダになってしまいます。それはナショナリズムを高揚する男性の論理です。その男性の論理に組しないためにも、映画は女性を描くべきだと考える訳です。
そこへ岡田茉莉子さんが言葉を続ける。
私の目から見ましても、女性が語り部になるべきだと思います。というのは、こういうのはなんですが、女性の方が男性よりも記憶力がいいんですね。私は今自叙伝を執筆しているのですが、30年、40年も前に撮った作品のことを、以外にも覚えているんです。男性だとそうはいかないと思います。『鏡の女たち』のように女性が記憶を辿ってゆくことは、とても映画的だと思いますし、映画はもっともっと女性を描いてゆくべきだと感じます。
青山監督が続く。
いやぁ、何をいっていいか判らなくなっちゃいましたね……というのは、岡田さんのお声があまりにも圧倒的だからです。このような岡田さんの素晴らしい語りの強度を、我々後続の人間が引き継いでゆかねばならないと感じます。21世紀で最も美しい日本映画『鏡の女たち』の、元安川のシーンで岡田さんが語られる、あの強度。あの非日常を前にして、我々は黙って聞くしかないわけです。非日常性の中で女性が語り部となる、これが一つの語りの形となっている。私自身も、この非日常性と向き合って映画をつくっています。基本的に、私は実話を再現して映画を作ることに反対です。
実際に起きた事件に基づいて、映画を立ち上げたことはありますが、内容を自分で何度も吟味し、ひっくり返し、引き裂いて、はじめてフィクションとして新たに生み出しました。
そして、ポマレッド氏が話題を変える。
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』の冒頭は、世紀末の地球をさまよう二人の男から始まります。原爆という恐ろしい核兵器がまだ世界に存在する時代で、人々は武器に変わって、楽器を手に取り、音を鳴らした。この作品はそんな世界を描いているように思えました。武器が楽器に取って代わった世界に、未来への希望がある、そう楽観的に考えてしまってもいいのでしょうか。
青山監督が答える。
そう楽観的に考えていいと思います。女性の声が楽器となり、その強度によって、男性の武器を奪う、そう楽観的に考えたいですね、僕は。
ここで吉田監督が、なぜ女性を描くのか、ということについて別のアングルから答える。
私がなぜ女性を描くのかという理由は、私が男性だからです。私は男性ですから、男性のことはだいたいわかる。しかし、女性についてはわからないから、映画で女性を撮るのだ、と言えます。そして、記憶に関して言いますと、私が男性だからかもしれませんが、私は記憶ほどあやふやなものはないと思っております。歴史も人間の都合のいいように書かれてきました。つまり、理解をするということは誤解をするということでもあり、記憶から過去を再構築すること、その中で男性の論理によって、都合のいい解釈を生んで来たのが、歴史と呼ばれるものです。なぜこんなことを言うかと申しますと、1962年私たちが秋津温泉を作った当時、世間では男性による歴史が興隆していました。つまり、すべてを自分に利する人間か、そうでないか、自分の敵か味方か、で二分してしまう。そして、力によって相手を押さえつける。力を信じる男性の論理です。『秋津温泉』では、そんな男性の論理を覆してしまう女性の情念を捉えたかった。戦後の日本社会において、変心し変わり続けるのは男性です。敗戦の情念をもって生きてゆくのは、女性だったのです。しかし、男は変化し、過去の記憶を忘れようとする。そんな男性に対し、女性は自らを殺して、男に問い質します。人生とは何か?と。
最後は、その女性を演じた岡田に締め括っていただきましょう。
マイクが岡田さんに手渡される。
確かに厳しい現実をぐっと受け止めることができるのが、女性の強さであると思います。
『秋津温泉』で私が演じた女性は、私が演じた中でも最も素晴らしい女性でした。私が映画出演百本記念作品として演じた役でしたが、自分の生き方を貫く、本当にすてきな女性でした。
また会場から大きな拍手が送られる。
座談会はこれで終了。
以下、素晴らしい知性の饗宴に刺激を受けた私の意見をまとめたい。
原爆は物語を拒絶している、という吉田監督の言葉は途轍もなく重い。絶対的な死としてのAtomic Bomb は、物語の中にやすやすと組み入れて再現できるものではない。これは、『ショアー』のクロード・ランズマンが、ホロコーストは決してフィクションで再現できないと、スピルバーグを批判したことに呼応している。再現不能なホロコーストに対して、残された人間ができることは、当事者の話に黙って耳を傾け、悲劇のあった場所を訪れ、その空虚をじっと見つめるだけーーそれがランズマンの判断であった。当事者が経験を話すこと自体にフィクション性を孕んでいるという点について、どう向き合うかは、一考の余地があるだろうがここでは踏み込まずにおく。重要なのは、物語では語ることのできない事象について、敬意を持って距離を置く作家の倫理が、ここで問われているということである。原爆、またはホロコーストについて、訳知り顔で語る人間や再現してみせる映像作品のなんと多いことか。そこでは語る主体である作家や監督が「〜をさも自分が見たかのように、物語ってよいものか」と自問する感性が欠如している。原爆の閃光、全てを焼き尽くす死の光線を、口当たりのいい悲劇の物語の一遍へ回収してしまうことに、どこか居心地の悪さを感じ取った時、作家は大きく距離をとるべきなのか、それとも物語を破壊するべきなのか、表象不可能性に対する答えを自分なりに出さないことには、その表現行為を完成させる訳にはゆかない、ということなのだろう。これはエステティクスの問題ではない。物語という、あの胡散臭い虚構に対する怖れを持つか否か、というエスィックスの問題である。
では、物語を奪われてしまった時、はたして映画はどう成立しうるのだろうか。例えば、物語の神話性を瓦解させてしまうような不均衡を画面に導入し、観客が信じようとするフィクションを脱臼させてゆくという試み・・・見る行為自体の虚構性を暴きたててみたり、物語が複層的に矛盾し合う構造を作り、虚実をぼやかしてしまう宙吊りを創り出したり、また持続としての物語を拒否し、ドキュメントとしての時間の断片を放り出してみたり、はたまたイロニーやユーモアによって説話性の磁場そのものを骨抜きにしたり……ゴダールをはじめとするポストモダンの映像作家がさまざまな形で挑戦してきた主題である。
蓮實重彦氏を引用した吉田監督が指摘したように、映画は元来言葉を持たなかった、という点にヒントが隠されているのかもしれない。物語を完全には信頼せず、一定の距離を取りながら表象行為を押し進めるには、サイレントフィルムが持つ解釈の自由さが、何かを示唆しているように思えるのだ。言葉を持たない映像、意味を付加される前の映像は、当然、意味の連鎖であるフィクションからも開放されている。ドルビーサラウンドの大音響に慣れきってしまった我々は、無声映画へ立ち戻ってはじめて、物語の持つ強引な虚構性、その胡散臭さを触知し、その背後にある表象不可能などす黒いものを、うっすらと見ることができるかもしれない。意味という神経症から開放された裸体の映像にどう向き合うか、が今映像を作ろうとする我々の課題である。また、敵か味方かで二分し、世界を力のヒエラルキーで支配しようとする男性の論理について。
マイケル・ムーアについて、ゴダールが「結果的にブッシュに利している」といった指摘のとおり、ドキュメンタリーにせよ、フィクションにせよ、映像による表象行為がどのようなエクリチュールとして機能するかを感じ取るセンスが、欧米のテロ関連の作品に欠如している。『パラダイス・ナウ』は、パレスチナ人の自爆テロを個人の視点から描いた、よくできた「物語」であるにせよ、敵を憎み、敵から憎まれるという政治対立=男性の論理をなんら否定するものではなかった。力を力で制する刺々しい荒野に、地下から水を注いで地盤ごと液体化させてしまおう、という力学が、作品に欠けているというべきか。
吉田監督の立場で言えば、女の情念によって、このような男性の論理を骨抜きにし、対立を解消してしまうことが、映画にできることだ、ということになるだろう。現代において、権力を骨抜きにする新たなパラダイムは、女性の映画にあるのかもしれない。