『斧に触るな』ジャック・リヴェット梅本洋一
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バルザックの『ランジェ公爵夫人』を原作に、タイトルロールにジャンヌ・バリバール、恋人のモンリヴォーにギヨーム・ドゥパルディユ。最近のリヴェットの中ではもっともすばらしい作品。『ランジェ公爵夫人』がなぜ『斧に触るな』になっているかは、モンリヴォーが台詞で語っているので、ここでは詳説しない。
『美しき諍い女』が同じバルザックの『知られざる傑作』を現代に翻案したものであるのに対して、こちらはそのままコスチューム・プレイになっている。しかも、極めて演劇的な演出が施されている。演劇的といってもかつての『地に堕ちた愛』や『彼女たちの舞台』のように劇場性というリヴェット特有の主題があるのではなく、ボニゼール=ローランの台詞を得て、なんのてらいもなく演劇的な演出が試みられているのだ。ミシェル・ピコリ、ビュル・オジエの助演がときにあるが、ほとんどがギヨーム・ドゥパルディユとジャンヌ・バリバールのふたり芝居。正面にあるようでいて実はとても複雑な運動をしているウィリー・リュプチャンスキのキャメラとほとんどが蝋燭の照明が素晴らしい。
このフィルムの成り立ちについては多くを知らないが、冒頭の20分ほどを見ていると、ギヨーム・ドゥパルディユの義足と多くの恋をしてきたジャンヌ・バリバールその人に、モンリヴォーもランジェ公爵夫人も当て書きされているのではないかさえ思える。冒頭の再開からフラッシュバックに移ると、ふたりがそれまで背負ってきた人生がそのまま登場人物に反映しているようにも感じられるからだ。
だが、このフィルムの真骨頂はそれ以降だ。おそらく順撮りをしながら、ふたりの俳優が次第に登場人物に入っていき、登場人物を真に生き始めてしまう。現実生活の多くを背負って映画に参加したふたりの俳優が、撮影=演出という過程の中で次第に登場人物そのものになり、悲劇の恋を生きるようになる。現実そのものが映画の現実によって次第に変容を受け入れはじめる。このフィルムを見る芳醇なワインを味わうのにも似た快楽はそこにある。「どこで人生が終わり、どこで芝居が始まるの?」とは、『黄金の馬車』のアンナ・マニャーニの台詞だが、来年80歳を迎えるリヴェット──彼は『ルノワール、親父さん』という素晴らしいドキュメンタリーを撮っている──が、劇場性を自らのフィルムの原動力として使いながらたどり着いた境地に感動せざるを得ない。