「労働の拒否」廣瀬純レクチャー@東京日仏学院
『労働喜劇』リュック・ムレ田中竜輔
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廣瀬純はその講演の冒頭で、大胆にジル・ドゥルーズの『シネマ』をおよそ次のように要約する。ドゥルーズの論理において、個々の映画作品(フィルム)とは有限個の要素からなる宇宙(メタ=シネマ)の組み換えによって生みだされるものであり、それら映画作品は決してその宇宙=シネマを全体とする部分に相応するものではない、と。そしてそれぞれ単一の要素にはひとつとして「特権的瞬間」は存在せず、それらはいずれも「どれでもよい瞬間」でしかない。その組み合わせにおいてはじめて「剰余価値」が引き出され、驚くべき出来事がそこに生産される。ヒッチコック『鳥』の恐怖が、どれひとつとして特別な鳥によってもたらされたものではなく、スズメやカモメやカラスといったごく「普通の鳥」の集合によって生みだされたように。しかし凡庸なるイメージたちは、すなわちスズメやカモメやカラスたちは、そのような労働を強いられつつも、自分の成したことに相応する対価を受け取ってはいない。彼らは映画という、優れて資本主義的な機械において、「搾取」されているのだ(言うまでもないが、これは決して否定的な意味だけに留まる言説ではない)。
ドゥルーズの『シネマ』第2巻で語られるのは、このような体制を拒否し、「搾取」を拒否するような類の映画である。労働を拒否し、それぞれのイメージが自己価値創出を行う体制のことを、ドゥルーズは「結晶的」と呼ぶ。そのときビュル・オジエやジャン=ピエール・レオーのような新しい俳優たちによって、「プロの非俳優」としてのあり方、そこではただひたすらに会話をし続けるといった純粋な行動こそが求められ(まさにリヴェットとの共同作業はその典型であるだろうし、マルク・シュヴリによる卓越したレオー論「マイム役者と仲介者」にもそれは共鳴する)、それ自体がそれ自体として自らの「生」を生きる。彼らはいかなる剰余価値をも生産しない「プロの失業者」なのである。
『労働喜劇』は、まさに「プロの失業者」と「アマチュアの失業者」という登場人物がその主題として要されたフィルムである(「金銭」が主題になるフィルムが必然的に映画内映画を主題にすることもまたドゥルーズが指摘した事柄であり、このフィルムでもそれは例外ではない。あるいは同じ作家による『カップルの解剖学』という奇妙にねじれた構図を持つフィルムを想起してもいいだろう)。銀行をクビになった「アマチュア」は、職を失う前には就業時間に眠ることが仕事であったというのに、いざクビになると驚くべき速度で職探しという「労働」を始める。一方の「プロ」は、無為な登山を自分の仕事だと言い張り、いくら待遇の良い他の仕事を紹介されどもやる気を見せようとはしない。「アマチュア」はもちろん物語の内部においては一銭も稼がないが、彼の一心不乱な行動は様々な剰余価値を生みだす原動力になる(彼がボールペンを手に入れるだけ、新聞を買うだけでも映画は過剰な運動を産出せねばならない)。一方で「プロ」は何をするでもなく、ただただ職業斡旋所の美しい女との対話にいそしみ、登山を味わうだけである(彼に対するキャメラの運動やモンタージュは、記憶にある限りほとんど最小限のものだったはずだ)。
ドゥルーズがロッセリーニに、つまり『ストロンボリ』や『ヨーロッパ1951年』に代表されるネオレアリズモの映画に見出した「イメージ=時間」の映画とは、見者の映画のことである。為す術なく火山を見つめ、あるいは工場の内部で機械に怯えるイングリッド・バーグマンのように、「見る」ことそれ自体が映画の対象となること。『労働喜劇』の職業斡旋所の女が登山家に学ぶのはこのことである。彼女はイングリッド・バーグマンの変奏なのではないか。崩れ落ちる足場に、あるいは突然降り出す雨に、もはや彼女はなすすべなく、登山家の徹底した「プロの失業者」としての在り様に呆然とするばかりなのだ(だがしかし彼女はバーグマンのように、「見者」へと生まれ変わるのではなく、あくまでそれになり得なかった存在として描かれているようだった)。
2時間近いレクチャーの間に、廣瀬純によって、ときに穏やかなリズムで、ときに荒々しい速度によって、緩急づけられながら語られたすべてを、この短い文章の中で記述することは不可能だが、最後に質疑応答で聞かれたひとつの重要な事柄について記したい。それは、このような「プロの失業者」たちによる「イメージ=時間」の映画において、「映画監督」あるいは「映画作家」という中枢をいかに思考すべきか、ということであった。かつてセルジュ・ダネーは「結局のところ……」というテクストの中で、「映画作家」とはシステムに穴を穿つ「流出路」のことだと語っていたが、これはこの問いに対するひとつの回答になりうるようにも思う。つまりここで語られているのは、ドゥルーズ的な語彙を援用すれば「逃走線」としての映画作家の存在である。これはきわめて現在的な問題であり、そのようなシステム=制度としての映画において、常に穴を穿ち続けようとする映画作家のことを私たちは知っている。それはもちろん、時間的な問題からドゥルーズが語り得ない作家のことを含んでいる(たとえばペドロ・コスタ、あるいはクリント・イーストウッド、あるいは青山真治、あるいは黒沢清、あるいはレオス・カラックス、あるいはアルノー・デプレシャン、あるいは……)。
廣瀬純本人が今回のレクチャーの中で繰り返し強調していたのは、『シネマ』を、そしてドゥルーズをただ「理解」しようとするだけで満足するのではなく、その先において思考することの重要性である。これはつい先日パスカル・フェランが『レディ・チャタレー』においてドゥルーズによるロレンス論を参照したことに触れて語っていたことでもあり、そして何よりもドゥルーズ本人が自身の著作について語っていたことであるはずだ(『記号と事件』)。そのような映画作家たちとともに、『シネマ』という書物は、これからも書かれ続けられるべきものであることを、このレクチャーを通して廣瀬純は語っていた。
『シネマ』の理念に沿い、一切の映像素材を用いることなく今回のレクチャーは行われた。今後いくつかの書籍・媒体において、本内容からさらに展開された形のテクストが発表されるとのこと。ぜひそちらにも御期待いただきたい。