『酔眼のまち──ゴールデン街1968~1998』たむらまさき、青山真治梅本洋一
[ book , cinema ]
今から25年も前のことだ。テオ・アンゲロプロスの『アレクサンダー大王』の試写を銀座の東宝東和第二試写室で見てから、軽く食事をとって、ぼくは、彼女とゴールデン街に行った。伊勢丹の前から横断歩道を渡り、花園神社の脇の遊歩道を通り、ゴールデン街に入って、小路をふたつ通り、角の自販機でタバコを一箱買い、三軒ほどの先の急な階段を上がったところにジュテはあった。狭い店に入ると、あなたたちさっき見てくれていたわね、と川喜多和子さんが話しかけてきた。東宝東和第二試写室の入り口に川喜多さんがいて、その日の午後には言葉を交わしたのだった。4時間の映画のあと、ぼくらが軽く食事をしている間に、彼女はすでに新宿に向かっていたのだ。彼女の隣には同年代の男性がいた。「柳町さんよ」と紹介された。柳町さんの『さらば愛しき大地』が公開中のことだった。ぼくはジュテは何度目かだったが彼女は初めてだった。彼女もぼくも『さらば愛しき大地』を見たばかりだった。彼女は柳町さんに議論をふっかけ、柳町さんとあやうく喧嘩になりそうになった。事の顛末は省くが、痛飲し泥酔した彼女を、ぼくはタクシーで彼女の家へ送り届けた。
まったく忘れていたその晩のことを思い出したのは、たむらまさきの言葉を青山真治が語り起こした『酔眼のまち──ゴールデン街1968〜1998』を読んだからだ。ぼくはたむらさんや青山真治のように酒飲みではないし、ゴールデン街にもジュテに行くのは年に1度ほどになって久しいが、たむらさんの語りが余りにヴィヴィッドなので、ぼくのゴールデン街に関わる記憶も甦ってきたのだろう。面白かったのは、たむらさんが「ゴールデン街=ハローワーク」説を唱えていることだ。ぼくにも思い当たることにある。数年の外国生活から戻ったぼくは、友だちにジュテに連れて行かれた。カウンターでウィスキーを呑んだ。隣に座っていたのは、当時まだあった平凡パンチの編集者のTという人だった。「君、英語出来るの?」「ええ、なんとか」「じゃ、あした朝11時、空いてる?」「ええ」「銀座の試写室で『オン・ザ・ロード』っていう映画を見て欲しい。それからヒルトンだ」「いったい何のことなんしょうか」「仕事だよ!『オン・ザ・ロード』に主演している渡辺裕行とピーター・フォンダの対談の通訳だ」。金がぜんぜんなかったぼくはすぐに引き受け、『オン・ザ・ロード』を見て、それからヒルトン(その後すぐにキャピトル東急ホテルになって、今では閉館した)に行き、日枝神社の裏で渡辺さんとピーター・フォンダがオートバイに乗っているところのフォトセッションにつき合い、対談の通訳をしどろもどろでやり、その翌日にTさんに対談原稿を渡した。渡辺さんもピーター・フォンダもオートバイが本当に上手だった。1週間後にそれが平凡パンチに載り、ぼくの銀行口座に10万円振り込まれた。英語の通訳も初めてだったし、対談原稿をまとめたのも初めてだった。ジュテのおかげでぼくは1ヶ月ほど生きることができた。「ゴールデン街=ハローワーク」だった。
『オン・ザ・ロード』がどんな映画だったがまったく覚えていない。もちろんケルアックからの「いただき」タイトルだけど、内容はぜんぜん関係なかったと思う。ピーター・フォンダが何を言っていたかも忘れた。でも彼がColombiaと発語したとき、ぼくはとっさにDo you mean University?と本当におバカな誤解をしたことだけは今でもよく覚えている。
たむらさんと青山真治のこの本を読むと、そのことばかりではなく、もっといろいろなことを前後の脈絡なくたくさん思い出して、ぼくは、本当に歳を取ったことに気が付いてしまった。それであっという間にこの本を読み終えた。できれば、こういう時間をもっと長くしたかったので、新書ではなく、厚い単行本にして欲しかったと思う。ところで知代さん、元気ですか?