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December 9, 2007

岡田武史代表監督就任
梅本洋一

[ cinema , sports ]

 いずれはこの日が来るだろうとは思っていた。98年のフランスW杯では、相当悔しい思いをしたろうから、岡田としてはリヴェンジという気持ちを持ち続けていたろう。マリノスでの連覇も、彼になかったクラブチームの監督としてのキャリアを積むためだったろう。だが、ジーコといい、オシムといい、岡田武史といい、どうして日本代表の監督には、こうも育成型の指導者が並ぶのだろうか? 長い期間の合宿を組むことも出来ないし、代表チームは常に流動的だから長い時間をかけてそれを自らの望む方法に導くこともできない。つまり、代表監督というのは、日本語で言う意味の「監督」とは異なり、常に「セレクショナー」でしかあり得ない宿命なのだ。賢いオシムは、そのことを知っていてあえて育成型を貫き、道半ばで病に倒れた(一刻の早い恢復を祈っている)が、「セレクショナー」として彼は、育成型である自分自身を理解し、多くをジェフの選手から選考してきた。羽生や阿部(現レッズ)の重用ぶりでもそのことが理解できるだろう。オシムにとって、代表監督は「育成型」の自分自身の延長線上にあったからだ。
 しばらく現場を離れることで、人は多くを学ぶ。横浜FCをJ2からJ1に上げた高木琢也も、浦和を首になってFC東京で復帰した原博美もそうだったが、マンチェスター・ユナイティドやバルサのフットボールを見て学ぶことで、彼らはチームに貢献した。そして岡田はどうなのか?
 現在、各国の代表監督で優れた人材を捜すことはなかなか難しい。モウリーニョ(ぼくが川淵だったら、彼に声をかけている)にしてもヴェンゲルにしても、さらにアレックス・ファーガソンにせよ、ほとんどがクラブチームの監督であって、代表には優れた人材はいない。おそらくチェコのブルクネルか、06年のイタリアを率いたリッピくらいではないか。バルサやレアルの監督は、クラブチームの監督というよりもセレクショナーとしての代表監督に近いだろう。岡田だって利発だから、代表チームの監督がセレクショナーである事実を知っているだろうし、イングランドの代表監督の辞任のように、クラブチームの監督よりも代表チームの監督は成績がすべてであることも知っているだろう。アジア予選での戦いぶりを観察しないと、岡田の評価はできない(なんだ、常識的な意見じゃないか!)。それにしても、今回の事件でいろいろ考えたのだが、代表チームの監督にカリスマ性のある人材は多くないね。