『呉清源 極みの棋譜』 ティエン・チュアンチュアン鈴木淳哉
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荻野洋一氏のブログに導かれて観劇に行ったという梅本洋一氏の文章に登場する「ものの肌理」という言葉に引き寄せられて観にいったものの、それは「キメ」と読むのだ、「キリ」ではないと洋行帰りの友人に冷や水を頭からかけられ愕然とするまでは、熱に浮かされるような、とにかくこの映画を駆動するエネルギー、そ の在り様にあてられて要はぽうっとしていた。くわえて「でんそうそう」と呼んで憚らないという国辱的に無知な、当然碁の打ち方など知っているわけもない者にもこの映画はやさしい。
かつて戦争のシミュレーションであった碁の延長線上に第二次世界大戦は存在しない。呉清源氏にとって因縁浅からぬ2国間でも繰り広げられているのは洗練を極めつつある近代戦であり、そこでは碁盤自体を叩き壊す打ち方が流行だ。その時代の熱病の最中において、故郷に近い気候を持つ敵国の療養所で呉清源氏は静かに棋士と しての人生を選ぶ。チャン・チェン演じる呉清源氏の眼光は分厚い眼鏡越しにもいよいよ鋭く、途中大きく迂回しようとも碁盤、さらに小さな碁石にはきちっとフォーカスする。
石を取る。その音。碁盤に石を置き、そのゆれが収まるまで石のみにピントを送る眼と、その振動音がやむまでじっと待つ耳はしかし、数奇な出自をもつ稀代の天才棋士の、何十年に及ぶ人生を2時間にぶち込むため、急いでいるのだ。そこでティエン・チュアンチュアン監督の視線は、呉清源の人生からドラマを抽出するよりは等 価に並べられた瞬間の連続を丁寧に描写することに迷いもなく向けられる。そのてらいのない覚悟の深さに慄然とし、ひとつひとつのシーンには陶然とした。
シネスイッチ銀座、新宿武蔵野館ほかにてロードショー中