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January 12, 2008

三越日本橋本店
梅本洋一

[ architecture , cinema ]

 運転免許の更新を東陽町の試験場でやった帰りに、久しぶりに人形町や日本橋を歩いた。
 人形町から日本橋への道は、川を隔ててずっと三菱倉庫のビルがかなり長く続いている。正面からの写真は何度も見たが、背後も側面もかなりの意匠を凝らしてある。レンタル倉庫の大きな看板が「うざい」し、もっと有効活用できそうだ。周辺には日清製粉のビルが数棟あるが、一番人形町よりのビルは、使用率が低いようだ。だが、シンプルなモダニズムの典型的なオフィスビルがすがすがしい。
 さて今回の目的地は、日本橋三越だ。新館の方ではなく旧館。元旦の折り込み広告で、本店に設えられた吹き抜けの中央の階段で演奏などが行われると告知されていたからである。デパート建築の最高傑作を見ておきたかった。高橋貞太郎の日本橋高島屋も悪くないが、堂々たる意匠と品格によって、やはり横川民輔の三越は、日本のデパートの最高傑作だろう。70年代に起きた三越スキャンダル以来、このデパートの凋落は著しいし、歳暮や中元の品でも三越の包装紙よりも高島屋の包装紙の方が「権威」がある時代がやってきてずいぶん経った。だが、一歩、このデパートに足を踏み入れると、見事なまでに整理された空間組織と細部まで手の込んでいる意匠に圧倒される。同時代に建てられた横浜の松坂屋が初期の空間組織を失い、上塗りのその場限りの改変ばかりが目立つのに対して、日本橋三越は、横川民輔のシンプルな、ほぼ正方形の空間とその正方形をあくまで背景にした意匠──とくに正方形の柱の周囲に設えられた照明──によって、モダニズムの「威厳」を感じさせるまでに仕上がっている。日本橋高島屋の「軽さ」は、三越の「威厳」に対比されているのではないかとさえ思えてくる。そう言えば隣にある三井本館の「重厚さ」も三越の「威厳」に連なるものだろう。
 日本橋川という水辺に並ぶ野村證券、三菱倉庫、三越、三井本館。金融、輸送、流通、販売。この周辺を再開発する主体である三井不動産ならずとも、この地の潜在的な可能性の大きさを再認識しないわけには行かない。やはり、日本橋は、日本の臍にある。横川民輔の選択は、同じ横川事務所の松井貫太郎が担当した銀座の三信ビルと比較するとより明瞭になるだろう。惜しまれながら三井不動産によって「破壊」された三信ビルは、三越の重厚さに対比されるように軽妙洒脱だった。日比谷と日本橋という地域性の対比がどこかにあるのだろう。
 この地域を寸断するように中空を走る首都高について議論が多いが、ソウルのようにそれを地下にするだけですべて解決するわけではない。もちろん、ここにもマンダリン・オリエンタルといった高層化が進んでいるし、三井不動産の意図も、高層化によって東京駅周辺と同様の付加価値を生もうとしているのだろうが、横川民輔の三越における「解」がそれとは異なるものだったことは言うまでもない。三越にHarrodsのグッズが多いのはなぜだろうかと考えいたが、ナイトブリッジにあるHarrodsを思い出せば、三越とHarrodsの近親性は納得のいくものだ。