『東京1950年代―長野重一写真集』梅本洋一
[ cinema , photograph ]
本書の63ページに「表参道 青山」(1952年)と題された一枚の写真が載っている。横位置の写真がぼぼ中央で区切られ、上方にはごくわずかな雲しかない空がある。空と陸を区切るのは黒々とした林だ。青山通りから原宿駅に向けて捉えた写真。表参道の幅の広さは今のままだろう。かつてあったもの。同潤会アパートメント。まだ窓には洗濯物がはためいている。そして、おそらく明治通りから原宿よりは両側が林だったのではないか。信じがたい程幅が広く見える表参道に走っているクルマは8台だけ。もしキャプションがなければ、ここがどこなのか判断できる人はいないだろう。つまり表参道は激変している。激変したのは表参道ばかりではない。この写真集に掲載されているすべての写真は、東京の戦後の激変ぶりを示している。
あるいは53ページの「家族 目黒」(1955年)という写真。かごを下げた母と子どもを抱いた父が「計良歯科医院」と書いている電信柱の前を歩いている。父に抱かれた少年は、おそらく2〜3歳だろう。1953年生まれのぼくと同年代だ。ぼくも同じような写真を持っている。父はもう亡くなり、母はすでに80歳近い。つまり、ぼくは、この写真集に載った「東京」を見たことがある。後半に載っている渋谷駅周辺の連作を見ると、おぼろげにその風景を覚えている。だから、ぼくも、東京の戦後の激変を生きてきたことになる。モノクロの50年代の東京を次々に眺めているし、ノスタルジックな感傷にふけることもできるけれども、その一枚一枚の写真に込められた奇妙な力強さの方をより強く感じる。ロッセリーニ的と言えば判ってくれるだろうか? あるいは、セルジュ・ダネーが言った「映像がぼくを見ている、つまりぼくにはその映像と関係がある」と言えばより理解されるだろうか? ぼくらは、風景の変容を観察しつつ、歴史を感じている。どんな歴史なのか?
91ページに「米兵と復員軍人 銀座」(1946年)という写真がある。米兵はハイヒールを履き、足のすっくと伸びたアメリカ人女性と一緒に背後から捉えられ、向こうからヨレヨレになった軍服姿の日本人が、(おそらく)足を引きずって歩いてくる。表参道の50年代と同じような激変がここにある。米兵を銀座で見ることはもうないだろうし、復員軍人などもう存在しない。だが、かつては、その両者が同じ場所に存在した。敗戦国の首都のもっとも有名な繁華街でこの両者がすれ違っている。「戦後」は、ここから始まったのだ、とぼくらは理解できる。風景の変容の中に確かな歴史の運動がぼくらに明瞭に伝わる。「写真映像の存在論」。今、ぼくらが見る風景とこの写真集の風景のどちらが良かったのか、は、さしあたって問題ではない。だが、この写真集ですばらしい表情を見せてくれる人の多くがすでに別の世界に旅立っているのと同じように、この写真集の東京を彩っている多くの建築物が、同潤会のようにもうこの世のものではなくなっている。地名を頼りに、これらの写真が撮影された場所をつきとめ、今の風景を比べてみる作業は、かなり有益だ。