ジム・オルーク アコースティック・ライブ@横浜国立大学 2/2宮一紀
[ cinema , music ]
かつて『ユリイカ』誌上のインタヴューで「ソロはもうやらない」と語ったジム・オルークだが、どういう風の吹き回しか(後に語ってくれるのだが)、この日はアコースティック・ギターを抱えておよそ一時間半のパフォーマンスを披露してくれた。
オルークは、静寂の中にそっと弦の揺れを響かせると、何度も同じフレーズを反復させながら、彼自身の言葉を借りれば「自問」するように、少しずつ音楽を前進させていく。幾度も重ねられる旋律は、音階を自由に行き来しながら、しかし全体的な調和には決して向かおうとしない。そのループは閉じられていなかった。不意にゴトッと異質な音が会場に響いて、閉じていた目を開けてみると、オルークは何かを床に落としている。弦をいったん爪弾くたびに彼は何かを床に落とし、次第に〈音楽〉と〈音〉との境界は曖昧なものになっていく。いうなれば〈世界〉が〈音〉の中にとけ込んでいくような瞬間だった。そうして彼はお茶目に笑ってみせた。
演奏後の大里俊晴との対談の中で、オルークは何度も「自問」という言葉を繰り返した。ソロ演奏はステージ上に自分以外の誰もいず、それはひたすら楽器を使って自問する空間なのだ、と。十三歳でデレク・ベイリーの自宅に押し掛けてから、東京で暮らす現在に至るまで、彼は自問を繰り返しながら様々なバンドに参加し、多くのプロジェクトを世に問うてきた。なにか強烈な意思によって、というよりは、身の回りの環境にごく自然に身を任せて、流れるままに彼は東京にたどり着いたのではないだろうか。そう感じさせる物腰の柔らかさで彼は終始笑っていた。
なお、この対談はオルーク・大里両氏およびライヴを企画した横浜国立大学の学生の皆さんのご好意で、本誌27号(三月中旬発売予定)に採録させてもらうことになっている。オルークが自身の音楽観、また経歴や趣味について縦横に語ったたいへん興味深い読み物になっているので、会場に来られなかった方も、またもう一度文章で読み直したい方も、ぜひ手に取っていただければと思う。