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February 12, 2008

建築の記憶展@東京都庭園美術館
梅本洋一

[ architecture , cinema ]

 建築が人々の記憶に留まるためには、写真が必要である。挿絵や図版以上に写真と建築の関係は色濃い。「建築の記憶」と題された写真展の発想は正しい。東京都庭園美術館という、まるで空間それ自体が「建築の記憶」のような建物で、この写真展が開催される意義は大きいだろう。旧朝香宮邸のアールデコ建築は、その歴史的な意義はともあれ、それほど好きになれる空間ではないが、目黒区のど真ん中にこれほど静寂観溢れる場所は他にないだろう。
 島津斉彬が江戸城を撮影したダゲレオタイプから畠山直哉の仙台メディアテーク建設の連続写真まで、つまり、写真の誕生から現在に至るまでの日本の建築写真の代表作を、この展覧会で見ることができる。だが、一言で言えば、その全体像が余りに多岐に渡っているために、建築写真の歴史展ではあるものの、その焦点が定まっていないように思える。一枚一枚の写真を見れば、それぞれが興味深いのだが、展示の全体としてどこに焦点があるのかが分からない。畠山直哉展は、昨年、鎌倉の神奈川県立近代美術館で開催されたことがあったし、この展覧会の多くを占めるようにも見える丹下健三の作品もそのすべてを網羅したものではない。
 やや散漫に見える展示の中で、もっとも興味深いのは、「国際建築」、「現代の住宅」など、戦前から戦後にかけて発行された建築雑誌が展示され、モダン建築を紹介していることだ。それぞれの雑誌は割付もとても素敵で、現在でも通用するものだろう。ややもすれば、モニュメントばかりに偏りがちな建築写真史の中で、個人の小住宅を捉えた数々の写真は、瑞々しいばかりではなく、今の都市の創生そのものが感じられる。バウハウス系の若い建築家たちが日本に帰ってからやった仕事の相貌を詳細に伝え、同時に、これらの小住宅によって、都市の相貌がまったく異なるものになることがはっきりと感じられる。辰野金吾の壮大な建築も歴史的な価値はあるのだが、ぼくらが生きて生活する「この空間」とは余り関係がない。ジョサイア・コンドルの建築についても、ダゲレオタイプが捉えた熊本城も、ぼくらの生活には関係がないのだ。だが、土浦亀城たちの作業は、今のぼくらの空間と密接な関係を持っている。近い将来、これらの雑誌が果たした役割の全体像を示す企画が生まれることを心から期待する。
 旧朝香宮邸から出て、長く続く並木道を寒気に耐えて歩き、入り口近くにある美術館のカフェに入って暖を取る。シンプルな白い箱のようなカフェは、「茶洒」と名付けられ、新橋の料亭・金田中がプロデュースしている。なかなか良いカフェだ。ランチもうまい。

東京都庭園美術館