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February 15, 2008

『ルイスと未来泥棒』スティーヴン・アンダーソン
結城秀勇

[ cinema , cinema ]

「前に進み続けよう」というウォルト・ディズニーの言葉をストーリーの中心に据えた『ルイスと未来泥棒』は、逆説的に「前」とはいったいどこなのかを考えさせるような作品だった。未来へのタイムスリップを描く作品でありながら、そこで描かれる未来像は、テクノロジー的に進化しているとか、イデオロギー的に素晴らしいとかをまったく感じさせない。単に変な世界なのだ。
 発明に取りつかれたフリーキーな少年ルイスは、未来で彼の奇妙さをそのまま受け入れてくれる「家族」を見つける。その「家族」は彼の「未来」そのものであることが次第にわかっていくのだが、結局この映画における「前に進み続け」ることとは、既に見た未来をそのまま実現するための努力、そして自分に似た人たちのコミュニティを作り上げることなのだった。
 そんな意味で将来に幻滅してしまうこの映画で一番面白い箇所はどこかといえば、これもまた同じく未来における家族の登場シーンなのだ。物語を進めることにまったく寄与しない(人物紹介を行なっているんだが、誰が誰やらさっぱりわからない)得体の知れないセンスの笑いがひたすら続く5分間余りは、ちょっとした驚異だ。

 この映画には「未来」を描く想像力が欠如している。それは単なる「自己実現」と同じものになりさがっており、未知のなにかが入り込む余地がない。だが一方で、実現されるべき「自己」(むしろその分身である「家族」)をいかに実現困難なもの、あり得ないものとして描くかに、持てる想像力のすべてがつぎこまれている。この倒錯した想像力のベクトルはいったいなんなんだろう?