『ショーケン』萩原健一結城秀勇
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萩原健一がなぜ「ショーケン」なのかという理由については、一般に広く知られていることなのだろうか。私は知らなかった。本名は敬三だが聖橋中学時代友達からケンちゃんと呼ばれており、その頃朝鮮高校のOBだったダイケン、高千穂中学校にいたチューケンとの比較から、ショーケンと呼ばれるようになったのだという。ショーケンがテンプターズとして初めてステージに立ったパーティを主宰していたのが、そのダイケンだった。「兄と姉が四人いるおれは年上の扱いに慣れていたし、いつも、軟派と硬派の間にいたから」。その後芸能界入りしてスターとなってからも続く「ショーケン」という呼び名が、少年時代の年上の友人たちとの比較から生まれていたというのは意外であり、同時にそれがこの本の面白さ(萩原健一の面白さ、なのか)だという気がする。
GSを代表するアイドルのひとりとなってもなお、ショーケンという呼び名のままであるのはまるで、自分に先行していたダイケンというローカルなスターに対する敬意のようでもあって、そうした年上の人物への礼儀とでも呼ぶべきものがこの本の全体に流れている。例えば、夭折した種違いの兄・和夫を見つめる彼の視線は、粋で気っぷの良かった兄をまるで中上健次の「路地」ものにでてくる中本の血統のひとりでもあるかのように描き出すし、また、女性関係の描写にもそうしたものが伺える。「彼女はいた。年上の女。いい女だった。ショーケンがつきあった女は、みんないい女だった」。いしだあゆみ、倍賞美津子ら元妻ばかりではなく、岸惠子、岸田今日子のような共演女優に対しても、時にスキャンダラスであったとしても決して無礼にあたるような一線を越えることはない。……などと書くと有名人については当たり障りなく描写しているかのようで語弊があるが、当然くそったれな人間に対してはくそったれだ、と書いてある。だから、ここまで「敬意」とか「礼儀」などと書いたことは、むしろ「仁義」とでも表現した方が良いのかもしれない(もちろん恐喝事件のからみでこの表現をもちいたわけではなくて、彼のヒーロー像に影響を与えたという『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』を含んだ一連の「日本侠客伝」や「昭和残侠伝」シリーズ的な意味で)。「世間には、さぞかし好き勝手に生きていると思われているかもしれない。でも、私には私なりの、哲学みたいものがあります」。
先日、映画『相棒』のプロモーションで水谷豊が香取慎吾の番組に出ていた。彼の経歴の紹介として代表作「太陽にほえろ」「傷だらけの天使」があげられたにもかかわらず、ショーケンの映像は一切出ず、松田優作との交流ばかりが触れられていた。もちろんそれは水谷豊のせいではないのだが、それじゃあ筋がとおらねえだろうと、思った。