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June 1, 2008

バウハウス・デッサウ展@東京藝術大学大学美術館
梅本洋一

[ architecture , cinema ]

 すでに世界遺産にも登録されているからデッサウのバウハウスの校舎は、誰でもその姿を知っているだろう。シンプルなモダニズムの建築物でその縦型の広い窓からは自然光が降り注いでいる。いかにも居心地が良さそうな校舎。
 ヴァルター・グロピウスの指揮の下に、カンディンスキーが、クレーが、シュレンマーが、そしてミース・ファン・デル・ローエがこの校舎に集い、この校舎周辺に新たに設計された宿舎に住まい、世界中から集まった若者たちに新たな造形芸術についてアトリエ方式で教えた。この学校のアイディアはいかにも「実験的」だったが、たとえば、ここで教鞭を執っていたマルセル・ブロイヤーの椅子──ブロイヤー・チェアー──は、今でも販売され、多くの人々が腰を下ろしている。つまり、「生活」と「デザイン」が分かちがたく結びついたものとして、実践され、想像されていた。さらに、ヴァイマール共和国の申し子にも見えるこの総合的な芸術学校がナチによって、閉校に追い込まれたことは、この学校を神話的なものに称揚することに大きく寄与しているだろう。
 その生命の短さによって、その成果の大きさによって、芸術教育に携わる人々すべての夢のような場所。それがバウハウスだ。鈴木了二が校長を務める早稲田芸術学校が早稲田バウハウスを名乗るのも無理はない。建築を中心にしているが、大学におけるそれのように工学部に属するのではなく、アート全般に関わる領域の中の建築として位置づけられ、講義形式の授業ではなく、アトリエの実践によって新たな創造活動が行われ、それが製品化されることもあったら、バウハウスは、まさに夢の学校なのだ。
 この展覧会は、バウハウスが設立されたヴァイマールから、政権党の交代によってデッサウの知に移転したバウハウスの多様な活動を、同時代の歴史の中に位置づけようとしている。出色なのは、実物大で再構築された校長室だ。そのほとんどがバウハウスで生まれた工業製品がインテリアになっていて、それが工業製品であるがゆえに権威からは遠く、質素で機能的で、だからこそ美しくあるような空間。おそらくバウハウスの理想の空間がこの校長室なのだろう。グロピウスやハンネス・マイヤーやミースが座った椅子、彼らが執務した空間。その空間を中心に、この展覧会は、バウハウス・デッサウ校にあった多様なアトリエの活動を紹介している。活動の様子は、バウハウスの出版物によって知らされている。そのタイポグラフィー(今では誰のコンピュータにもバウハウス・フォントが入っているだろう)、そのページ・デザインの簡潔な美しさは、出版から70年以上経た今でもまったく不変だ。堀口捨巳、山脇巌(日大芸術学部創設者)、桑沢洋子(桑沢デザイン研究所)など、バウハウスの薫陶を受けた日本人たちもその理想に燃えて、この地でバウハウスの再現を夢見た。
 だが、同時に、この展覧会が教えてくれるのは、バウハウスの絶えざる変動である。カリキュラムの変化、外圧による教育内容の変貌、そして社会情勢の変化の直接的な影響等々、バウハウスは変わらぬ理想からはほど遠く、ヴァイマール共和国の運命共同体のようだ。理想の学校、夢の学校などあり得ない。グロピウスもミースも、そうした絶えざる多方向の変動の中で、常にファイティングポーズをとり続けていたはずだ。

バウハウス・デッサウ展 4/26~7/21