『コロッサル・ユース』ペドロ・コスタ山崎雄太
[ book , cinema ]
真っ白い壁にもたれかかって役人から部屋の説明を受けるヴェントゥーラは、一点のシミのようでもある。
ひと月ほど前—、横浜・寿町にひっそりとたたずむマンションの一室を改装する現場に立ち会わせていただく機会を得た。寿町は元町・中華街とほど近い場所にありながら、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)と並び日本三大ドヤ街として知られている。いまこれらの場所は、総じて外国人観光客向けの安宿として「クリーン」な町への転換が図られてはいるものの、この日も病院の前には生活保護者たちが長い列を作っていた。アルコール依存症の薬を毎朝受け取り、登記されないと、国からお金が降りないそうである。その、マンションの一室は、意外にも燦々と降り注ぐ陽の光を豊かに湛えており眩しいほどだったが、バスルームの床には、そこで独り亡くなったという老人の跡=黒いシミが、しっかりと残っていた。
4年前—、〈ヴァンダの部屋〉にすらカメラが持ち込まれ(得)る、というシンプルな事実に、強い衝撃と恐怖を憶える。薄暗い部屋にこもるドラッグ中毒の女も、壊されゆく貧しい移民街も、
世界は、疵として存在し得る……ことを確認する。例えば、フィルムの上に。『コロッサル・ユース』において物語の中心となる夫、ヴェントゥーラは、リスボン近郊フォンタイーニャス地区の廃墟と、真新しい集合住宅をせわしなく往復し、時にポルトガル北部の古都ポルトにまで現れる。ヴェントゥーラは、あちこちに遍在しているような印象すら与える。これらの〈ヴェントゥーラ〉は、廃墟から出た亡霊でありながら、歴史のシミでなどなく、世界に遍在し、いま確実に存在する他者としてこちらに語りかける親しげな仲介者である。「俺の手紙は着いたか? お前の返事はまだ来ないが、そのうち届くだろう……」
ペドロ・コスタの公平無私な眼差し(あの物憂い険しい目つき)、彼は一度だって「ドラッグはいけない」「こんな生活から抜け出して働くべきだ」といった個人的な判断をフィルムに織り交ぜたことはなく、ただ〈ヴァンダの部屋〉を、〈ヴェントゥーラたち〉を明るみに引きずり出すのみである。明るみに、というのも正しくない、「もともと光は当たっているんだ」ということを口数少なに指し示している。「彼らは此処にいる。君らも……?」 リスボンから上がり続ける闘争の狼煙は、寝息を立てる唯我論を蹴散らし、大きく大きく拡がってゆくだろう。
メールが来た。老人の跡は、ものの5分で市役所の方の手によってペンキで覆われてしまった。
渋谷イメージフォーラムにてロードショー中