『最後の抵抗(マキ)』ラバ・アメール=ザイメッシュ結城秀勇
[ cinema , photograph ]
積み上げられた無数のフォークリフト用パレットが赤く視界を染める。そこはパレットの修理とトラックのメンテナンスを行う工場だ。輸送の根底に関わるその場所には、しかしながら流通の主体となるようなものはない。パレットはあってもその上に乗せる商品はなく、壊れたトラックはあってもそれが商品を積んでどこかへ流れていく姿はない。ここで働く人々を含めこの作品に現れるすべてのものは、工場の狭い敷地内で修理と再配置を施される。しかしながらそのすべてのものが、この映画には決して描かれない外側の世界に密接に連なっているのだ。
この工場の内部でおこるふたつの闘争が映画を駆動させる。宗教的指導者であるイマームの選定に関わる問題と(それはイスラム教の歴史のなかでも絶えず争いを生んできた問題なのだと監督は語る)、工場の所有者マオ(!、監督自身が演じている)と労働者たちとの間における階級間の争いである。だがカメラはどちらの側に寄り添うこともなく、ただそこで起こることを観察する。まるで荒野の果てに見つかった無垢な場所で、無垢な人々が自分たちさえ預かり知らぬなにか希望的な仮説の証明のために実験体となっているかのようだ。それは現実とかけ離れた非人間的な試みなどではない。このフィルムの中で、工場にまぎれこんでくる一匹のヌートリアのように、自分たちの預かり知らぬ輸送の結果として人々は皆ここにいる。
そしてそうした人々を管理する立場にいるはずの、監督自身が演じている工場主が時折見せる謎めいた優しい微笑みが、この作品における事象の観察の根底にあることを最後に述べて起きたい。
東京日仏学院 ラバ・アメール=ザイメッシュ特集 「亡命の光」開催中
本作は6月25日(水)19時より上映予定