成城コルティ梅本洋一
[ architecture , cinema ]
成城学園駅で降りたのはほぼ30年ぶりのことだ。目的は世田谷美術館分館清川泰次記念ギャラリーで開催されている、抽象画家・清川泰次が学生時代に撮影した「昭和十五年十一月十日.東京,銀座」の写真展を見るためだった。
だがせっかく成城学園で本当に久しぶりに降りたのだから、まずここで昼食を、と考え、「とんかつ椿」へ。東京の5指に入るこのとんかつの名店は、北口から徒歩10分ほどの完全な住宅地の中。おかげでこの街の住宅地を初めて歩いた。英国の田園都市をまねて構想したこの住宅地は、ほんとうにブルジョワ的郊外住宅地。土地単価も田園調布よりは高いらしいし、それぞれの住宅も、単にハウスメーカーのものが建っているのではなく、工夫を凝らしてある。パーキングには、メルセデスが圧倒的。同じ世田谷区でもぼくの住む下馬の街路は、もともとあぜ道だったためか、道幅が狭く湾曲が多いのに対し、成城学園のそれは、正確なグリッドが描かれ、どの道も2車線が確保されている。「とんかつ椿」の前の3台ほどの駐車スペースにもご多分に漏れず、BMWが2台。「ひれ」と「ロース」しかない。ロースを注文。壁に「とんかつを岩塩でいかがでしょう」と筆で和紙に書かれた貼り紙。「岩塩をいただけますか?」。岩塩をミルで引いてロースの上にかけ、キャベツは自家製ソースでいただく。確かに旨い。ご飯がやや柔らかめだったことを除いて、赤だしもキャベツの漬け物も文句のつけようがない。
2006年に小田急成城学園駅の駅上に完成した「成城コルティ」へ。地下にホーム、1階が改札とスーパーなど、2階に三省堂書店と雑貨店等、4階に「シェ松尾」「箱根暁庵」など高級レストランの並ぶテナントと空中庭園。中央に大きな吹き抜け。中にはいると表参道ヒルズとそっくりのつくりだが、こちらの方がずっと明るい。ガラスの天井から外光がふんだんに降り注いでいる。このブルジョワ住宅地にふさわしい「駅ビル」。ファサードはやや安手のつくりだが、表参道ヒルズが「表参道」という東京でも有数の街路に対してまったく閉じられているのに対して成城コルティは、ガラスの天井や空中庭園によって、外部との連続を明瞭に感じさせてくれる。設計は坂倉設計研究所。
そして、清川泰次記念ギャラリーへ。煉瓦造り平屋の旧清川アトリエをリノヴェーションしたもの。入り口の脇の部屋は区民に開放された場所らしく、おばちゃんたちが集まって自分たちの作品を展示していた。おばちゃんたちをかき分けて、別室に続く廊下に受付。奥の旧アトリエと思われる部屋の壁一杯に「皇紀二六〇〇年」の銀座の一日の写真がキャプションとともに並んでいる。当日の銀座の賑わいは相当なものだ。キャプションの至る所に「感動」という言葉が散りばめられている。理解不能。だが、三越が、服部時計店が、教文館書店が、朝日新聞旧社屋が、旧日劇が歩道に溢れる人々と都電の背後に見えている。銀座にはまだ空がたくさんあった。それから数年後、銀座は廃墟になり、GIたちが闊歩することになる。不思議なのはライカを持つ清川の「感動」が写真にも伝播していることだ。