『TOKYO!<メルド>』レオス・カラックス山崎雄太
[ book , cinema ]
日本人の目は女性器のようであるから汚らわしい……
こう被告席で吐き捨てるメルド(ドニ・ラヴァン)は、下水道の怪人である。といっても彼は、渋谷の事件以外とりわけ怖がられるようなこともしておらず、銀座においてもちょっと攻撃的な浮浪者といった程度で、けが人もいないようだ(食事も花にお札とわりと高尚)。メルドは、もうそもそもから「東京の人々」に恐れられており、われわれもまた「ニュース」を見ることによって(そしてなにより『ゴジラ』の音楽によって)、端から恐れられるべきものとして彼を知る。彼をただの気狂いと分つただひとつの点、それは彼が特殊な言語を喋り、しかもーーこれが重要だがーーそれを理解できる人間がほんの少数いるということにつきる。彼がもし同じ内容のことを日本語で話せば気狂いであるし、フランス語やあるいは全く意味不明な言葉で話してもやはり気狂いであろう。ただ、特殊な言葉を介して、恐るべきメルドと弁護士が神と預言者の構図にぴたり収まるとき、人々はただならぬ様相に畏れをなす。フランスから駆けつけたジャン=フランソワ・バルメールは、弁護士のはずなのにメルドから不利な証言を引き出しては話せたことだけで何故か誇らしげ、自信満々である……。
ドニ・ラヴァンの笑顔が昔からひどく凶暴だった。腹を立たせ眉を吊り上げている時よりも、ジュリエット・ビノシュの横で「牙」を見せる無邪気で畸形的な笑みの方がよっぽど凶暴に映ったし、両手を広げ飛行機を模して駆けてくるビノシュの身振りよりずっと観客のわれわれを脅かしていた。通常の意味合いからは明らかに逸脱した身振りを持っていたラヴァンは、『メルド』で怪人となった。心臓の辺りを掴み、赤いあご髭をたなびかせながらひたひたと足早に進む姿はそのグリーンのセットアップという格好にしろ街の中には混ざり得ないノイズである。ただ、それを常に追うのがDVによるやや寄り添うような視点であったこと。カラックスが特別な言葉と視線によって擁護したのが純粋な暴力であったのか、あるいは単に動くラヴァンだったのか。いずれにしろ、すごいことだ、空恐ろしい。
8/16、シネマライズ、シネリーブル池袋にて世界先行ロードショー