『ハンコック』ピーター・バーグ結城秀勇
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ドリュー・バリモア、ルーク・ウィルソン主演の『100万回のウィンク』を見て、ラヴコメというジャンルから八割がた逸脱したその脚本にちょっとびっくりしてしまった。その脚本家ヴィンス・ギリガンが『ハンコック』にも参加しているというので見に行った。全体的に大味な印象は否めないが、この映画もまた歪な回路をたどって家族の物語へ至る。
あるいはこれはスーパーヒーローものというより、怪獣ものといったほうが近いのかもしれない。ウィル・スミス演じるハンコックは、頑丈な体と飛行能力、それとなぜだか知らないが悪人を退治しているという理由から「スーパーヒーロー」と一般に認識されているようだが、それって怪獣と何が違うんだろうか。本来なら大惨事になりかねないような、彼の引き起こした事件が一般人によって携帯で撮影されyoutube(またしても!)にアップされるのだが、それはウィル・スミスがなまじ人間の姿をしているためにゴシップに早変わりする。本人も自分が人に好かれているとはさらさら思っていなかったわけだが、初めてできた友人の言葉とメディアの意見とが相乗効果を生みだして、彼に一撃を加える。現代アメリカにおける怪獣を退治するのはヒーローや秘密兵器ではなく、携帯やデジカムの流布された映像である。
この映画で一番感動的だったのは、中盤の心を入れ換えた(?)ハンコックが警官にひたすら「グッジョブ」と言って回るシークエンスだった。自分で自分の言ってることが理解できてないかのようなウィル・スミスの姿が、怪獣が初めて人間の言葉を学習する、意味はわからないが使ってみたら会話ができた、という素朴な感動を与えてくれた。しかし、それをきっかけにウィル・スミスがいつものウィル・スミスに戻ってしまい、怪獣、もといスーパーヒーローにも家族がいて、単独の突然変異体として世界に存在するわけではないというくだりになってしまうとなんだか冗漫な感じになってしまう。「やっぱりくるのか?」とこちらをハラハラさせながらも、最終的にウィル・スミスに付き物の例の「自己犠牲」を、ギリギリのところで回避している点は評価したいのだが……。
この映画を見て、『ダークナイト』のバットマンが、あの「良き人々」の住むゴッサムシティで嫌われ者のヒーローであることにこだわる点に、疑問がますますふくらんだ。
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