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September 12, 2008

村野藤吾──建築とインテリア展
梅本洋一

[ architecture , sports ]

 村野藤吾の建築やインテリアはかなり多く見てきたし、実際にその内部を使用したことも多い。建設中の横浜市役所を小学校に通う市電の中から何度も見たし、同じように東横線の中からは千代田生命ビルも何度も見た。箱根プリンスホテルも新高輪プリンスホテルも行ったことがあるし、日生劇場には何度も足を踏み入れた。立派で豪華で特徴に溢れているのだが、どうも好きになれない。その存在感が大きすぎて、それがぼくらに課す重さが好きになれなかった、と書けばいいのだろうか。しかし、村野の立派な建築物は常にぼくらの側にあった。
 たとえば新高輪プリンスホテルが建ったころ、それまでの高輪プリンスホテルの庭が好きだったぼくは、新館の建設で都心のホテルの広大な庭園の一部が失われたのが嫌だったし、無料だった駐車場が潰されて大宴会場になったときは、プリンスホテル系列にいつもある接ぎ木のような拡大路線そのままだと思った。箱根プリンスホテルのロビーにしても直線的な廊下の周囲にめぐらされた円形の空間が好きになれなかった。日生劇場で芝居を見るとき、ロビーの豪華な照明やぶ厚いカーペットは、これから見る舞台に不似合いだと思ったものだ。劇場空間は自己主張があるものよりは、できる限りニュートラルであるべきであって、そこを彩るのは舞台美術家や演出家であると思っていた。つまりぼくは村野の「個性」が好きになれなかったのだろう。
 村野藤吾の「建築とインテリア」展を見て、そうしたぼくの好みが変わることはなかったが、しかし、その村野の原点がホテルの内装といったものよりも、かつて太平洋を航行した客船のインテリアにあることを知って、彼の「趣味」を理解することができた。アルゼンチナ丸やブラジル丸といった戦前の太平洋航路の花形だった客船(本当は貨客船と書くべきか)の一等社交室や喫煙室の内装は、当時の豪華な客船のインテリアにかなりの「東洋趣味」を混合させたものだった。特に照明を見ればそのことが納得できる。当時、隆盛を極めた豪華客船のインテリアに別の要素を加えることこそ、彼にとっての自己主張だったように見える。後に大規模なホテルなどを担当することになる彼のデザインは、その反復だったように思えるからだ。たしかに船の場合は説得力がある。何週間も航行を続ける船にあっては、そうしたデザイン上の遊戯は、航行の退屈さを薄める要素になりうる。だが、ホテルや公共施設にあっては、そうした足し算としてのデザインは、少なくともぼくにとっては納得できるものではないのだ。

松下電工 汐留ミュージアムにて開催中、2008年8月2日(土)~2008年10月26日(日)