『私のハリウッド交友録 映画スター25人の肖像』ピーター・ボグダノヴィッチ結城秀勇
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まるで辞書みたいな外観の書物だが、百科辞典的な効用を期待してはいけない。網羅的な事実が必要なら、その用途によってもっと大勢の人が記載された名士録のような本や、ここに書かれた人たちのひとりひとりについてもっと詳しく書いた本がいくらでもある(ジェリー・ルイスも自伝を出版したし、ベン・ギャザラも執筆中だそうだ)。『私のハリウッド交友録』という邦題が示すとおり(原題は『Who the Hell's in It』)この本はもっとプライヴェートなものである。25人という数は歴史上にあまた煌めくスターたちを記述するには非常にささやかな数字だろうし、研究書としてはそのひとつひとつの分量も決して多くはない。しかしながらこの本にはひとつの明快な目的がある。イントロダクションでボグダノヴィッチはこう書いている。「ここでのささやかな目標は、何人かの人を目覚めさせて、発見され賞味されんと向こうで待ちかまえているものに気付かせていることにある」。その目論見通り、私はこの本を読んで、おそらくスターひとりひとりについて書かれた本やあるいはカタログ的な本を読んだときに感じるだろうよりはるかに多くの(25人分だから25倍か、それ以上)映画を見たくなった。その内の2割くらいはもう何度か見ているにもかかわらず。
プライヴェートな本とはいえ、収録された文章の多くが既出のものを改訂加筆したものなので、この本が(アメリカでも)2008年に出版されたのは、単に知られざる個人的なエピソードの目新しさによるところではないのは明らかである。またボグダノヴィッチの意図するガイドブック的な効用を考えるなら、何冊かに分冊して手軽に持ち運べるようなものにした方がよかったろうが(訳註のない原書を見たことはないのでよくわからないが、それでも多分持ち運びには向かない厚さだろう)、それでもこのヴォリュームであるのには、自身かつてジャーナリストでもあった著者の編集の手腕が大きく意味を持っている。つまり、マーロン・ブランドの後にステア・アドラーが続き、ジェリー・ルイスの後にディーン・マーティンが並び、ベン・ギャザラの名前が(カサヴェテスの隣ではなく)オードリー・ヘプバーンと隣り合うということ。それはこれまで大衆が彼らに持っていた神話を強化し、あるいは見過ごされていたが魅力的なエピソードを、その神話の異なるヴァージョンとして付け加えている。神話という言葉を用いたが、スクリーン上とバックステージの姿を行き来して描き出す本書において、実際俳優とはどこか半神半人のような存在だ。そして何より、この本がリリアン・ギッシュに始まり、62年に死んだマリリン・モンローで終わること。スタジオというシステムが映画に対して行った貢献と搾取、とそれにもかかわらずどうしようもなく込み上げてくる失われた時代への想いがこの本の通層低音となっているのは言うまでもない。これはボグダノヴィッチによる「映画史」の一部であるのだ(本書の姉妹編、監督についての『Who the Devil Made It』もまたその一部だろう)。
繰り返すが、変にガイドブック然としたお手軽な本よりも、本書ははるかに良質なガイドブックである。この数年間『Songs in the Key of Z』、『宇宙の柳、たましいの下着』『中原昌也 作業日誌2004-2007』などといった書物(本来ガイドブックでない書物も入っているけど)をガイドブック的に活用しているが、結局著者の歴史が実作や活動へと反映していかないガイドブックなどほとんど役に立たないのだとつくづく実感する。ということでボグダノヴィッチの監督としての最新作(IMDBにはin productionとして『The Broken Code』が告知されている)も期待したい(というか日本公開されることを期待したい)。
それにしても、ケーリー・グラントの、彼自身が「ケーリー・グラントになれたら」と願っていたというつぶやきは、何度読み返しても泣ける。