『その土曜日、7時58分』シドニー・ルメット梅本洋一
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ニューヨークのおそらくダウンタウンの一角にある古いオフィスビルにはDiamond Centerと表示されている。そのビルの中のさらに古びた一室で、傷だらけの木製のテーブルの上のダイアモンドを鑑定している老人ウィリアムがいる。「盗品を横流しいているんだろう?」アンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)が尋ねる。彼を警戒する老人にアンディは、不動産会社に勤める自分の名刺を渡す。
時制が何度も行き来し、キューブリックの『現金に体を張れ』と極めて近い構造を持つシナリオから出発したこの作品は、『現金に体を張れ』のように犯罪の失敗の顛末を硬質のナラタージュで語るフィルムではない。もちろん、このフィルムでも、アンディとハンク(イーサン・ホーク)が狙った実家の宝石店を狙った犯罪は次々に綻びを見せて失敗していく。だが、このフィルムが見せてくれるのは、完全犯罪が失敗に終わる顛末ではない。兄は一家の出世頭に見えつつ、ドラッグに溺れ、弟はまっとうな社会人になれないばかりか、別れた妻子から養育費の延滞をなじられ、そして、ふたりの父親は、この犯罪を追ううちに、自分の家族の姿を知っていく。金銭と暴力と性が極めて緊密な関係を結んでいるのは、この手のフィルムの常数だが、このフィルムは、そのほとんどをニューヨークでロケし、グローバル化が進んだ中心地であるこの都市全体を動かしていく力学の中にある。今年84歳になるシドニー・ルメットの演出力は、まったく衰えていないばかりか、老成などという言葉とは正反対の綻びを恐れない勇敢さを見せてくれる。
自分の宝石店を襲った犯人を追う父のチャールズ(アルバート・フィニー)は、その足跡を追って、Diamond Centerの古ぼけた一室にウィリアムを訪ねる。「最近、郊外で起きた強盗未遂事件を知っているか?」「いや、あんな高級住宅街に縁がないんでね」「誰か、盗品を始末してくれ、と言って来なかったか?」「ひとり来たね。名詞を置いていった。若いころのあんたにそっくりだったよ」。愕然としながらも、自らの推測を確信するチャールズ。もちろんアルバート・フィニーの熟達ぶりには舌を巻くばかりだ。だが、おそらく何十年もこの古ぼけた一室の木製のテーブルで、ずっとダイアモンドを観察し続けてきただろうウィリアムを演じるもうひとりの老人の圧倒的な存在感は見る者を捉えて放してくれない。
ウィリアムをやっている老人俳優とはいったい誰なのか。資料は、その俳優がイタリア人のレオナルド・チミノという男であると教えてくれる。検索してみたが、生年月日は調べがつかない。彼が出演しているフィルムも見たことがない。だが、「アウシュヴィッツの生き残り」と公言している男だ、とあるサイトは伝えてくれている。それほど目立つことはないが、アルバート・フィニーの脇にあっても、立派に存在感を発揮し、ゆうゆうと今夜もダイアモンドを鑑定していることを信じさせるようなこの男の佇まいは、他の誰よりも、このフィルムを監督したシドニー・ルメットに似ているのではないか。
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