『かけひきは、恋のはじまり』ジョージ・クルーニー梅本洋一
[ cinema , cinema ]
もっとも困難な映画とはどんなフィルムを指すのだろうか? あるいは、彼岸にあるフィルムとは何なのか? どちらの質問にも同じ解答を与えることができるだろう。解答例として挙げられるのは、『ヒズ・ガール・フライデー』(ホークス)、『フィラデルフィア物語』(キューカー)。複雑なキャメラワークも、凝った編集もなく、俳優たちが立ったまま、台詞を言っているだけだと感じられるように見えるのだが、それが極めて自然に感じられる瞬間に満ちていて、しかも、生きていく上でとても大事な「笑い」が至る所に散りばめられ、さらに、2時間近い上映時間がほんの一瞬にすぎないと感じさせてしまえるようなフィルム。ずいぶん長い説明になってしまった。巧妙な台詞とスタンディンアップ・アクトだけで、乗り切れるフィルムというのは、一見シンプルで安易に見えるが、実際に撮影しようとすれば、これ以上困難なフィルムはない。ロザリンド・ラッセル、キャサリン・ヘプバーンといった女優たちや、ケーリー・グラントやジミー・スチュアートといった男優たちを思い出しただけで、ハワード・ホークスやジョージ・キューカーといった監督名を思い出しただけで、ハリウッド映画が、映画全体にもたらした、もっとも豊かであると同時にもっとも困難なフィルムが、そうした2本に代表されるフィルムなのである。
『グッドナイト・アンド・グッドラック』で巧みに50年代を再構築し、その実力を発揮した監督ジョージ・クルーニーにとっても、そうしたフィルムは彼岸にあって、彼岸にあるがゆえに彼の目標ともなるものだろう。『かけひきは、恋の始まり』を撮影するとき、クルーニー自身が、それらの作品名を引いている。そして、その結果は? 残念ながら、とてもそれらの作品の豊饒さには到達していない。1925年のシカゴを舞台にした中年のプロのフットボール選手と敏腕スポーツライターの恋物語。長くハリウッド映画を見続けてきた者にとって、この主題は、ちょっと魅力的だ。そこに若いフットボール選手が割ってはいると、物語は、まるで『フィラデルフィア物語』だし、女性がスポーツライターであるという設定で当然映るはずの編集部のセットが長いトラヴェリングで映し出されれば、即座に『ヒズ・ガール・フライデー』だ。ケーリー・グラントがクルーニーで、キャサリン・ヘプバーンがレニー・ゼルウィガー、そして若いフットボール選手役のジョン・クラシンスキーがジミー・スチュアートということなのだろう。何か足りないのか?すべてだ!確かにセットは良く作ってあるし、照明にも工夫がある。だが、問題は工夫なんかではない。形態としての模倣などではない。黄金時代のハリウッドが過去のものであり、過去が過去であることを認識するとは、それはもう戻ってこないということだ。ケーリー・グラントにはなれる人はもういない。別の方法を考えなければならない。
全国ロードショー中