『おかしな時代──『ワンダーランド』と黒テントの日々』津野海太郎梅本洋一
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この本の帯にはこうある。「アングラ劇団旗揚げのかたわら、『新日本文学』で編集を学び、晶文社で雑誌みたいな本を次々に刊行。黒テントをかついで日本縦断のはて、幻の雑誌『ワンダーランド』を創刊! 60年安保から東京オリンピック、そして70年前後の大学紛争まで、若者文化が台頭した『おかしな時代』を回想するサブカルチャー創世記」。過不足なく、見事に本の内容がまとめられていると思う。「新日本文学」はともあれ、「晶文社」の犀の本も、『ワンダーランド』も、そして黒テントもぼくにとってとても重要なものだ。その重要さは、そのどれかひとつを欠いても、今のぼくはないだろうと断言できるほどだ。「晶文社」の平野甲賀(忍者みたいな名前の人だ!)の装丁の本は、大学生のぼくの本棚に次々に並べられていった。アーノルド・ウェスカー、シーラ・デレーニー、ジョルジュ・バタイユ、ポール・ニザン、佐藤信、佐伯隆幸、安田南、片岡義男、小林信彦、植草甚一、ナット・ヘントフ、そして、津野海太郎、蓮實重彦……。
それらは当時のぼくの教養のすべてであって、同時に行動の基準でもあった。それらの人々とは、その後もその人たちの書物を読んだり、実物のその人たちと知り合ったりしたのだから、津野海太郎がこの本で書いている彼の周辺のことどもは、ぼくに決定的な影響を与えている。雑誌好きなのも、大学生になりたてのころ、早稲田大学生協の本屋で「ワンダーランド」を買ったからだ。その後、FM東京の「気まぐれ飛行船」を毎週聞くようになったのも、「ワンダーランド」の編集にも参加し、創刊号で『六杯目のブラックコーヒー』──後に連載がまとめられて『ロンサムカウボーイ』という一冊の書物になり、いったいぼくは何度読んだことだろう──という小説を書いた片岡義男を読み、連載されていた安田南のエッセーを読んだからだ。植草甚一の本を加えると、それらは、本棚ばかりではなく、ジャズを中心に多くのレコードへと広がっていった。戯曲を初めてまじめに読んだのも佐藤信の『地下鉄、イスメネ』が最初だったが、残念ながら、自由劇場での公演を見ることはできなかった(なにせ当時、ぼくは中学生だ)。その本がきっかけになって、黒テントばかりではなく、紅テントにも、天井桟敷にも通うようになり、新宿文化の映画の上映が終わってから上演された桜社の上演も見ることになった。いくつもの同心円が重ね合わされて、70年代のぼくの行動のすべてがその中にすっぽり収まってしまう。さらに、蓮實重彦訳の『マゾッホとサド』を読んで、ぼくは蓮實重彦とジル・ドゥルーズを同時に知ることになり、それは絶対的にぼくの70年代末期を決定することになる。
つまり、ぼくは、この本に書かれた時代には、ただの読者であり、観客であり、リスナーに過ぎなかった。けれども、読者から書き手になり、観客から批評家になるという抑えがたい欲望を準備させたのも、観客であり、読者であり、リスナーだった長い期間だったと思う。だから、ぼくのほとんどは、この本を書いた津野海太郎とその周辺に負っていると言ってまちがいないし、同時に、今考えてみれば、編集者という仕事さえ、津野に負っていると言ってもいい。だから、この本はまたたく間に読めてしまったし、読みながら、未熟な今よりももっともっと未熟だったぼくの20代に起こったいろいろなことを思いだし、まだ、古本屋に売り払っていない「犀の本」の何冊かを本棚から引っ張り出して眺めてみた。安田南の『南の30歳宣言』は売り払ってしまったように、ひどく反省している。