『サバイバル・ソング』ユー・グァンイー田中竜輔
[ cinema , cinema ]
ユー・グァンイー監督の処女作にして前作『最後の木こりたち』は恥ずかしながら未見で、そのことを本当に悔やむかたちとなった。本作はその続編にあたり、監督自身が兵役のときに戦友だったという羊飼い/猟人のハン、そしてその妻と、彼の元を一時離れた「裏切り者」であるシャオリーツーたちの共同生活をその被写体としている。貯水地の建設を名目に当局から立ち退きを強いられるも、ハンはひたすらに抵抗し、厳しい冬を密漁によって生き延びようとする。
権力によって蝕まれる厳しい現実をありのままに記録しようとした、と語るグァンイー監督だが、しかしこのフィルムにはそれとともに、どこか別種の視線が混在しているように見える。
それは厳格で口汚いハンと、ほとんど道化のように振舞いながら彼に罵られるシャオリーツーの関係にある。最初こそ本当に憎悪さえ感じさせる陰惨な上下関係そのものだった二人の関係だが、日々の狩りや薪の伐採、あるいは食事の時間を通して、まるで徐々に戦争映画の上官と部下の関係のように、友情とも親愛とも異なった何かが生まれているのをこのフィルムは淡々と捉えていて、それがひどく胸を打つ。タイトルが示すように、このフィルムは「サバイバル」についての映画であり、それが戦争映画のヴァリエーションとなりうることは当然の帰結なのかもしれない。でも、このフィルムはたとえばそこで現実にちょっとしたフィクションを導入する、というような実験めいたことはしない。日常が戦場であるということを真正面から受け入れるかのように、ただじっと対象に視線を向け続けている。
密猟が当局によって嗅ぎつけられ逃亡したハンは、今もなお放浪を続け、妻とも娘たちとも離れて暮らしているという。同じように当局に一度は捕らえられながらも、90km強もの道のりを24時間以上歩いて帰還したシャオリーツーは「上官」の帰りをひたすらに雪の中で待ち続けていた。その美しい横顔に対して、そして山荘を離れて新しい職を得ても、やはりひたすらに習慣として歌い、踊り続ける彼の姿に対して小さなカメラを向けながら、同じハンの戦友であるグァンイー監督がそこに垣間見ていたものを、共有せねばならないと思う。
第9回東京フィルメックス開催中
『サバイバル・ソング』は24日(祝・月)21:15よりシネカノン有楽町1丁目にて上映あり