『文雀』ジョニー・トー梅本洋一
[ architecture , cinema ]
ちょっと前のこのサイトにジョニー・トーの『エグザイル/絆』について、伝統工芸に到達しているとぼくは書いた。『エレクション』から『エグザイル』への道程は確かに伝統工芸へのそれだった。だが、『僕は君のために蝶になる』を見たとき、それまでのジョニー・トーのフィルムとはまったく異なるスタイルと物語を持っていたため、本当に驚いてしまった。スターが出演し、ありふれた恋愛物語がそこにあったから、ぼくはてっきり注文作品だと思ってしまったが、製作にもジョニー・トーの名前があった。
そして次の作品がこの『文雀』である。4人組のしがないスリと美貌の愛人とかつてはスリの親玉だった暗黒街の首領の物語である。暗黒の世界を切り裂く照明と誰が誰やら判別不能な世界が展開するのかと思ったら、冒頭から中年に達した男の部屋に一羽の文鳥が紛れ込んでくる世界。そこに軽い音楽が被さっている。登場人物たちが生きるシチュエーションと、このフィルムが見せてくれる世界の間にある決定的な乖離。『僕は君のために蝶になる』では、その乖離が乖離のままに留まっていたのだが、このフィルムでは、その乖離が大きく口を開けて、ぼくらを別の世界に連れて行ってくるようだ。ここには香港ノワールの世界はもう存在していない。いくつものコメディ・レリーフと何層にも積み重なった上質の音楽と、それに──これが決定的なことなのだが──登場人物たちの動作が詳細に振り付けられたような世界がここにある。確かに血を流す者がいるが痛くはなさそうで、重々しいギャングの首領も愛人を失って先叫び……なにしろ命を落とす者はいない。
おそらく『エグザイル』のコレグラフィーで香港ノワールから別の世界に出奔したジョニー・トー。『僕は君のために蝶になる』で様式のエチュードを行った後、それまでジョニー・トーが慣れ親しんだ物語を別の杯に盛ってくれる。音楽とコレグラフィックな身振り。もちろん、あれほどの優雅さはないけれども、フレッド・アステアが『バンド・ワゴン』で踊ったフィルムノワール的なコレグラフィーを思い出してしまうような世界。それが『文雀』だ。もちろん、決定的な差異はある。『バンド・ワゴン』がヴィンセント・ミネリの人工的な世界をどこまでも生きるのに対して、『文雀』のデコールは今の香港の現実だ。だが、ジョニー・トーは、それまでの彼のパレットに確実に新しい色を足している。そして、その色はとても美しい。
第9回東京フィルメックス開催中
『文雀』は28日(金)19:10より有楽町朝日ホールにて上映あり