『日本語が亡びるとき──英語の世紀の中で』水村美苗梅本洋一
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いまから10年以上も前のことになる。仕事で滞在していたパリのホテルでボーっとテレビを見ていたときのことだ。旧日本海軍についてのドキュメンタリーが放映されていた。もうよぼよぼになった旧日本海軍の将校たちのインタヴューが多く含まれていた。内容はすっかり忘れてしまったが、とても驚いたことがあった。そのお爺さんたちが全員、見事なフランス語で質問に答えていたことだ。戦前の人たちなんかは、「西欧文化」の輸入ばっかりに追われていて、自らを外国語で表現することなんかできなかったろう、と理由もなく思い込んでいたぼくの確信は木っ端みじんに打ち砕かれた。
調べてみると、そのお爺さんたちが見事なフランス語を話すのは当然なことだった。戦前の教育システムは、今よりもずっとエリート主義に貫かれていた。旧制中学への進学者は同世代の10パーセント程度というから、その割合は今の大学院進学者の率とほとんど同じだ。海軍の将校クラスは、その中でもエリートだろうから、フランス語なんかぺらぺらで当たり前なのだ。英語だって同じようなものだろう。戦前のごく少数のエリートたちは、ぼくら戦後民主主義教育の申し子よりも、外国語を上手に操っていたのだ。
水村美苗の『日本語が亡びるとき』の最終的な主張は、英語で自らを表現できる少数のエリートを育て、他の子供たちには英語はちょっとでいいから、日本の近代文学を徹底して教え、瀕死の文学を救うことだと要約できるだろう。つまり戦前と同じようにすることなのだろうか。一部にすごいエリートがいたけれども、結局、門戸を閉ざして、敵国の言語を教えないことになってしまった経緯を、ぼくらは義務教育で習って知っている。たとえばぼくの母は昭和初期の生まれで、その教育制度の影響をもろに受けて、tomatoさえも読めない。ちょっとかわいそうだと思う。戦後の教育を受けたぼくらは、英語で文学を正確に読めないかもしれないけれど、tomatoは全員が読める。そっちの方がいいんじゃないかと、とりあえずぼくは考えている。
もうひとつの問題の日本の近代文学はどうだろう。日常的に大学生に接していると、確かにぜんぜん近代文学は読んでいないことが判る。『我が輩は猫である』が精一杯で、水村さんご推薦の『三四郎』を読んだことのある学生はほとんどいないだろう。教科書に載っている『こころ』だけは例外だ。読んでいる学生が多い。けれども漱石はまだ知られている。鴎外なんて論外。それに問題は、日本の近代文学に限らない。そもそも彼らは本を読まない。本を読まないどころか雑誌も読まない。雑誌は『コロコロ』や『ジャンプ』以来読んでいないと書く方が正確だろう。つまり、何にも読まない。でも、昔の大学生と比べるのがまちがいなのだ。ぼくが大学に入学したのは1972年だったが、その当時に大学への進学率は20パーセントに達しなかったが、今は60パーセントの高校生がその上の学校に進んでいる。ぼくらの世代だって漱石は3〜4作は読んだことがあるが、他の近代文学は読んでいない同級生が大多数だったから、今の学生たちを責めるわけにはいかない。ぼくら大学教師には、おもしろい本や映画や音楽を知らせて学生に興味を持ってもらい、少しでもそれらに触れてもらうことしかできない。
小学校高学年でアメリカに行き、英語との折り合いがわるくて、日本文学全集を読んでいたという水村の少女時代には共感できない。英語が話せるのは、カッコいいことだと思っていたからだ。ちょっと年上のヒーローは片岡義男だった。二世である彼がほんとうにうらやましかった。父の書斎にあったテディ片岡(片岡義男の昔のペンネイム)の『C調英語教室』(!)を読んで、英語がうまくなりたいと努力したこともあった。プレスリーの曲を一生懸命ディクテイションしたこともあった。実際に英語が上手になったかどうかはともあれ、そんな少年時代を過ごしたぼくは、水村美笛の主張にはまったく同感できるところはなかった。それよりも、英語と折り合いがわるくて、日本文学全集ばかり読んでいたのはなぜなのだろうと思った。ぼくから見れば、あこがれの帰国子女なのに、それを利用しないのはどうしてなのだろうと思った。そんなことを友人に話したら、水村美笛の『本格小説』と『私小説From Left to Right』を読んでみれば、と勧められた。彼によれば、水村美笛のこの2作は、現代の日本文学の成果のひとつだそうだ。両方とも文庫本であるようなので、早速、本屋さんに行くことにしたい。『本格小説』は上と下があってかなり長いけれど頑張ってみよう。