『秋深き』池田敏春渡辺進也
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情報誌か何かを見ていたときに、佐藤江梨子が織田作之助原作の映画に主演するという記事があって、なんでいまごろオダサクをやるんだろうと読んでいたら、この映画の監督が池田敏春だと知った。
いま、池田敏春と聞いてどれだけの人がわかるのかは知らないけれど(実際、『秋深き』を池田敏春の最新作と銘打って宣伝している媒体はほとんどないはずだ)、日活ロマンポルノ末期にデビューしたこの監督は、ディレクターズ・カンパニー参加後、Vシネマに活動を移していたようだ。まったくの不勉強で90年代以降のことはほとんど知らなかったけれども、だから、僕は数年前に友だちに『ハサミ男』という凄い映画があると薦められたとき、あの池田敏春とすぐには結びつかなかったくらいだ。
『ハサミ男』は豊川悦史と麻生久美子の演技が光るサイコスリラーとしてもすばらしい映画だったけれども――豊川悦史演じる役のモデルは相米慎二だという。相米の亡霊が刻まれているのだろうか――、それにもまして、自由が丘や渋谷、ラストシーンの屋上からとられた山手線の走るホームは有楽町駅だろうか、東京の姿を描いていることが強く印象に残っている。道路標識、電柱につけられた地名の標識、バス停、駅など、その地名を見れば一発でどこで撮影されているのかわかる記号をまったく排除することなく、むしろ意識して画面のなかに入り込ませているような撮りかたで、そしてまたそんなものがなくともどこなのかすぐわかる僕の知っている東京が描かれていた。東京で撮影する困難さはよく聞くけれども、あっけらかんと東京を撮っているのを見てひどくびっくりした覚えがある。『ハサミ男』はおそらく、ゼロ年代前半に最も堂々と東京を描いている映画だと思う。
それ以来3年ぶりの新作、この『秋深き』でもそれは同じだろう。舞台となっている大阪に土地勘がないので、詳しい場所がわからないけれども、交差点、商店街、競馬場、そして八嶋智人と佐藤江梨子が自転車を押して上がってくる階段!といった、なんでもないどこにでもあるようなそれらの風景の撮り方がことごとく素晴らしい。ときにクレーンを使い、ときにロングショットを使って切り取られた風景はあまりに見事すぎて、ふたりが一緒に住み始めた街を仲良く並んで散歩するたびにこの街に住みたいと本気で思ってしまう。見に行く前から八嶋智人、佐藤江梨子というのはミスキャストなんじゃないかと思っていたけれど、彼らが特に新たな一面を見せているわけでもないのに、ときにその表情に、その所作にはっとさせられる瞬間があるのはなぜなのだろうか。男は小さい身体を思いっきり使って動き回り、女はあの猫なで声で甘えてみせるばかりというのに。
『秋深き』は自分が知っているんだけれども実は知らない日本映画という気がした。自分がオンタイムで経験していないかつての名画とでもいうべきだろうか。それは30年近いキャリアを持つこの監督の演出やカット割といった技術のこともあるだろうし、人情話で落ち着くその物語のあり方のことでもあるだろう。そうした映画がいまつくられるべきかという問題は別としても、上映の際にひどく居心地が悪くなっている。それはちょっと残念だ。
シネマスクエアとうきゅう、シネマックス千葉、シネマート心斎橋ほかにて上映中