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December 7, 2008

『日本語が亡びるとき—英語の世紀の中で』 水村美苗
山崎雄太

[ book , cinema ]

 十代前半で水村さんは家庭の事情によりニューヨークへと渡るも、英語に馴染むことが出来ず、家に閉じこもって日に焼けた『日本近代文学全集』を愛読していたそうだ。曰くしばしば「私は古びた朱色の背表紙を目に浮かべて心を奮い立たせた」(『私小説 from left to right』)。いっぽう、水村さんとほぼ同世代の僕の母もまた、同じように十代半ばに家庭の事情によりロスアンゼルスに渡るも、英語によく馴染み、マイクロソフトのアンプでキング・クリムゾンを愛聴していたそうだ。いくら気候が違うとはいえ、日本近代文学とProgressive Rockではあまりに好対照でちょっと可笑しい。母はいま英語の通訳として浦安の遊園地で働いている。
『日本語が亡びるとき』に、日本文化消滅の証のひとつとして示されている「何とも申し上げようのない醜い」景観は、浦安で育った僕にとって極めて親しい景観でもある。防汚のシステムタイルが張られた大小様々なマンション、住宅街の切れ目に突如現れる高速道路、不揃いのミニ開発の建売住宅……。しかもその東京への交通の便の良さ故、新しいマンションも帰るたびに出来ている。新しいショッピングモールも次々出来ている。便利だから増える。増えれば、なお増える。市の面積のおよそ4分の3が埋め立て地である浦安は、40年前までほとんど海だった。ほとんど誰も住んでいなかった。受け継ぐ歴史などほとんどないような街である。「日本文化の継承」と、おそらくもっとも縁遠い地域といってよいだろう。根無し草。
 インターネットの普及で、世界の言葉にさらに急速な変化が云々といった話は少し前から意識せずとも盛んに耳に入ってくる。『日本語が亡びるとき』に記されているのは、世界の叡知が英語に収斂していくとき、日本の叡知の人たちが英語の世界へ無策に引きずり込まれてゆく前に、特に書かれた(そしてそれから書かれるであろう)言葉としての日本語を継承し守ろうというものである。水村さんは雪降りしきるニューヨークで、アパートの一室に閉じこもり、文学からの知識の方が多い「日本」に自らの居所を感じ続けた。そしてなおも悲痛なひたむきさでいま擁護する日本(語、文化、文学)が、実際に若き日に歩きその匂いを覚えたものというよりは、その大部分が「書かれた言葉」に基づくものであることに僕ら(目を細めて思いを馳せる「あの頃」も「あの街」も「かの国」もない僕ら—おそらく今後もないだろう…わからないけれど…—)は猛烈に共感しつつも、水村さんが擁護せんとする「日本」はそれぞれ過去と未来のものでしかなく、決定的に現代が欠落していることもまた現代に生まれ、育つ者として渋い顔でやり過ごさねばならない。
 「幸せだったころの記憶があるのとないのと、果たしてどちらがより幸せなのだろう」(『私小説』)。わからない、ほとんどわからないが、どちらも不幸な気がする…。