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December 18, 2008

『1408号室』ミカエル・ハフストローム
結城秀勇

[ cinema , sports ]

 いわずとしれたモダンホラーの王様スティーヴン・キングだが、実は彼の作品の映画化で、映像として具現化されたギミックやクリーチャーのかたち自体が恐ろしいという例は余りないんじゃないだろうか。膨大な映画化作品の中でたいした本数は見ていないけれどぱっと思いつく90年代以降のものは、『マングラー』のプレス機にしろ、『ドリームキャッチャー』の怪物にしろ、キモカワイイ系が多い気がする(キングの音楽の趣味のせいだろうか、「Gabba gabba hey」看板を持ったピンヘッドの姿を思い浮かべてしまう。偏見か)。『ミスト』の昆虫は微妙だが、あのでっかいやつはどこかかわいらしい。それじゃあ『IT』のあれはどうだ、ということになると、あれはやっぱり恐いのではなくてビックリするだけだ、と思ってしまう。
 たしかポスターに「ジェットコースター・パニック」とコピーがうたれていたこの『1408号室』を見る前に思うのは、キモカワかビックリならビックリだろうということなのだが、実際に見た手触りはそれとはだいぶ違う微妙なものだった。現に、上映後劇場の前でタバコをすってた高校生は、「『SAW』の方が全然ジェットコースターパニックだよ」と不満げに語っていた。『SAW』を未見の私も多分的を射た意見なんだろうと思う。だが、私は『1408号室』を面白く見れたし、もしかすると『SAW』より好きかもしれない。そこがこの手の映画にビックリを求めるかどうかの違いなんだろう。
 さて、キモカワでもビックリでもない『1408号室』のなにがよかったのかと列挙してみてもうまく伝わるか自信がない。ラジオから突然流れるカーペンターズ「We've only just begun」(最初はちょっとだけビックリする)、なぜかデジタルな過去の投身自殺者たち、「As you were I was, as I am you'll be」(要するに「これから死ぬぞ」)と呟く父親の亡霊、向かい側の建物で鏡に映ったかのような動きをするドッペルゲンガー、FAXからでてくる死んだ娘の服。それらはただ現れては消えていき、特になにかひとつの目的に奉仕するわけでもないので、あとには恐いのか驚いたのかなんとも奇妙な後味だけが蓄積する。もしかすると原作にそこまで書き込まれているのかと、ポスターを見てみたら原作は『幸運の25セント硬貨』に収録の短編のようで、まったく覚えてないので自信はないが、逆に言えば確かに読んだはずの原作からはこんな風に突出したディテールが並んでいるだけという印象は受けなかったということだろう。その後ですぐこんなことを言うと非常に矛盾しているようだけれど、だからこそこの作品はキングの原作にある恐いのかなんだかわからない奇妙さをこれはこれでうまく映画化しているということかもしれない。
 なかでもとりわけ支持したいのは、ジョン・キューザックの死んだ娘の扱い方だ。あの薄気味悪いくらいに可愛らしい少女の顔を、醜悪なまでに歪めたり鮮血に染めたりすれば、観客をビックリさせるのは簡単だったろう。もしかすると現代の私たち一般の観客は(好悪いずれの感情が掻き立てられるにしろ)そうしたものを見ることで安心したいのかもしれない。しかしこの映画はそんな期待を中吊りにする。キューザックの胸に死んだはずの娘が抱かれるシーンは、われわれ観客にとってはそうでなくとも、キューザックが演じている男には確かに最大の恐怖を与えていると思う 。

渋谷東急、吉祥寺バウスシアター、新宿バルト9他にてにてロードショー中