『オーストラリア』バズ・ラーマン高木佑介
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「AUSTRALIA」というタイトル・ロゴが、地図に描かれたオーストラリア大陸の輪郭上に現れる。世界地図やgoogleアースを見れば明らかなように、オーストラリアはとにかく地理的にでかいわけだが、そのでかい大陸の地名をぶっきらぼうにそのままタイトルにしてしまっているこの映画の主題のひとつもまた、でかいこと、すわなち「壮大」であること、「広大」であることだと言えるだろう。第二次世界大戦と、白豪主義と、オージービーフ産業と、アボリジニと、神秘的な魔術と、オーストラリアの大自然が165分という尺の中で交錯し、ニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンとアボリジニの少年たちの擬似家族的集団が形作られていく一大叙事詩。これに関してはおすぎさんがかなり的確なコメントを宣伝チラシに寄せていて、「西部劇あり、戦争ものであり、ファンタジーも味わえ、ラブ・ストーリーも堪能!!万華鏡のような映画です」とあるように、物語的にとにかく色とりどりの要素が詰め込まれているのがこの『オーストラリア』という映画的世界の領土の輪郭なのである。
しかしとはいえ、興味深いのはそうした少々肥満気味なストーリーではなく、やはり画面全体に漂うその虚構っぽさだ。キッチュというか、過剰な加工というか、とにかくバズ・ラーマンが切り取るこのオーストラリアの風景は奇妙に現実感を欠いている。1500匹の牛の暴走はもちろん、カンガルーの一群からロング・ショットによって示される山々まで、まったくもって嘘くさい。広大な土地を舞台としているはずが、ほとんど距離感は無視されていると言っていい。ちなみにここでのこの嘘くさいという言葉には否定的な意味合いが含意されているわけではないのだが、この嘘くささこそは、いわゆるオーストラリアの雄大な大自然という安価なイメージを、宣伝文句とは裏腹に徹底的に回避させていく。イマジネーションによって限りなく捏造されたに近い「オーストラリア」という名前を持つ幻視の世界。『美しき冒険旅行』(71)に出演していたあのアボリジニの青年が、奇怪な老魔術師としてこの『オーストラリア』に出演しているのは、そのまま相互の作品の偏差というか、立脚する地平の違いを際立たせているようでもある。バズ・ラーマン作品をそれほど熱心に見ているわけではないが、彼を映画に突き動かす創造的な欲望はもしかするとそういったところにあるのかもしれない。
ところで、この映画の画面に漂う加工された感じは、そのままニコール・キッドマンの顔と共振してしまうのではないかと、ふと思った。ジャン=マルク・ラランヌ氏が言う「キッドマンムーヴィ」の不気味な片鱗が、この『オーストラリア』にはたしかに表出している気がする。
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