『パッセンジャーズ』ロドリゴ・ガルシア高木佑介
[ book , cinema ]
以前どこかでこの映画のチラシを見たとき、『フォーガットン』とまったく同じような匂いがしたので、封切り後すぐに映画館に駆け付ける。
飛行機事故を奇跡的に生き残った5人の生存者たち。彼らのグループ・カウンセリングを担当することになったアン・ハサウェイは、患者たちが次々と失踪していくのを目の当たりにし、何やら自分たちが大きな陰謀に巻き込まれているのではないかと疑い始める。もちろんその先に待ち受けているのは「結末は口外しないでください」的なラストだ。物語だけ鑑みればほとんど『フォーガットン』のリメイクあるいはパロディ、というよりタイトルは「フォーガットン2」でいいんじゃないかと失礼ながらも思えてきてしまうのだが、殊に「忘却」というキーワードに関して言えばこの映画はある意味徹底されている。
いったいあの印象の薄い会話群といい、覚えておかなくてもいいような顔のオンパレードといい、まったく必然性を感じさせないロケーションの連鎖は何なのだろう。たしかにそのひとつひとつが驚くべきラストで結実されることが予想できる、いかにも意味ありげなシーンばかりなのだが、とはいえそんなことがかつて画面で起こっていたことは、観客たちの記憶から次々と忘れ去られていく。患者たちのどいつがどのタイミングで消えたかさえ覚えていないし、そもそもこの映画におけるプロセス自体、陰謀の有無だとかカウンセリングだとかへの関心度は、ただただラストへと通じる物語的回路をつなぎとめるためのものでしかない。いやこれはもしかすると私個人の記憶力の問題であるのかもしれないが、とはいえしかし、あのしっとりと雨に濡れたバンクーバーの無機質な街並みや、色彩を欠いたアン・ハサウェイの地味な服や、適度に抑圧された画面と演出は、まったく印象深くないことにひたすら努めているように見えてくる。平たく言えば見せ場がないということになるのだが、これはこれで周到に構築された映画と言えるはずだ。そう考えてみると、この映画で最も印象深いイメージは、アン・ハサウェイの過剰な可愛い顔だけのような気もしてくる。
ところで、この監督の親父さんの代表的小説を引き合いに出させてもらえれば、人々の記憶から消え去っていったマコンドの村やブエンディア家の人々の辿った物語はさっぱり思い出せないが、印象深い場面や人間たちはまだたくさん覚えている。映画でもどちらかと言えばそういうのが好きなのだが、となると、忘れ難いことばかり起こる『フォーガットン』はどうなのだということになってしまうのだが……。
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