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March 15, 2009

『あとのまつり』瀬田なつき
宮一紀

[ cinema , cinema ]

 頭上をゆりかもめが走る東京湾岸・運河沿いの埋立地。「この辺、むかし海だったんだよ」と少女が少年に教える。その面影にまだあどけなさを残した少女が唐突に口にする「むかし」という言葉。もちろん「むかし、むかし……」というあのアニメ番組の前口上を持ち出すまでもなく、ここで使われる「むかし」という言葉はいわゆる「伝聞過去」に由来している。出来事を強く喚起するその言葉は再開発が着々と進行する湾岸地帯を突き放して客体化してみせる。そこに人と場所との関係性が立ち現れる。

 同時に「経験過去」は周到に回避される。少女は少女であるがゆえに「むかし」を経験するすべを持たないし、人々はみな健忘症を患っているがゆえに時制はただ曖昧さのなかに沈んでいくばかりだ。振り返るほどの時間を生きていない主人公と、振り返ることができない登場人物たちは、ただ目の前の現在を生きるしかない。そのとき過去はどこか遠く目のつかないところに仕舞われる。たとえば新たに造成された地面の下に。

 そして誰かに出会ったら「はじめまして」と挨拶する習慣。忘却への恐怖を克服するために人々が編み出したその方法は、出会いをその都度新たなものにする。関係性の更新とは現在の絶えざる規定に他ならない。時間そのものを怖れるのではなく、時間がもたらしてくれる豊かさを積極的に受け入れること。だから「未来」とは来るべき時間ではなく「子どもの子どもの時代」である。曖昧さを排除するというよりは、抽象性を一段下げるというのに近い、丁寧な作業が繰り返されていく。

 風船が空高く舞い上がり、再び少女と少年の会話。
「アメリカまで飛んでいったら奇跡だね」
「そんなの無理だよ」
「だから奇跡だって言ってるじゃん」
 だが、飛行機に引っかかった風船がたどり着く場所がアメリカだとすれば、それはそれほど大それた奇跡とも思えない。賭けてみる価値は十分ありそうだ。

桃まつり presents kiss ! 3月14日(土)~3月27日(金) 渋谷ユーロスペースにて連日21:00より!