『ベッドタイム・ストーリー』アダム・シャンクマン黒岩幹子
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アダム・サンドラーとリメイク版『ヘアスプレー』のアダム・シャンクマン、そしてディズニーが手を組んでつくられた映画。ディズニー的には、一昨年の『魔法にかけられて』と同系列で、かつFOXにやられてしまった『ナイト・ミュージアム』の要素を取り込もうという発想でつくったんじゃないかと思うのだけど、これがちゃんとアダム・サンドラー映画になっているのだった。
子供を寝かしつけるときに創作する物語が現実になるという、ありがちな話ではあるのだが、ファンタジーが現実に侵食してくる(お姫さまが突然現れるとか、空を飛べるようになるとか)ことはなく、あくまでそれに似通ったシチュエーションが現実世界で反復される。しかも語り手であるアダム・サンドラーが考えた部分の話が現実に起こらず、彼の話を聞いた子供たちが付け加えて創作した部分しか実現しない。そこでアダム・サンドラーが自分の都合のいいように子供たちを誘導しようとして失敗したり、SFやグラディエーター的世界でつくられた物語がどのような形で現実の世界に適用されるのかが見どころになっている。たとえば、西部開拓時代を舞台に「フェラーリ」という名の赤い馬をタダで手に入れる、という話を語ることで、実際にフェラーリの車が手に入らないかと目論んだりするわけだ。
このお馬鹿な主人公がいろいろ画策するも空回りして大混乱という流れは、何気にアダム・サンドラーが製作・主演するコメディ映画の基本線なんである。この映画でもディズニーのプロデューサーたちに交じってばっちり製作にその名を連ねているし、これまで10本近くの映画で組んだティム・ハーヒリーが脚本に手を入れており、子供向け映画という土俵でもあくまで自分の相撲をとろうという意思がびんびんに伝わってくる。とはいえ、まったく無理なところを感じられないのは、そもそもアダム・サンドラーの芸風の柱が「大人げなさ」にあるからだろう。事実この映画で“冒険”をするのは子供たちではなく、アダム・サンドラーただひとりなんである。
だから大人げない大人である私はいつものアダム・サンドラー映画として素直に楽しめたわけだが(付け足しになってしまったがアダム・シャンクマンの演出もかなりの安定感だ)、いまの子供たちは我々お馬鹿な大人と同じくらい楽しんでくれているだろうか。