『ヘンリー・プールはここにいる〜壁の神様〜』マーク・ペリントン結城秀勇
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『隣人は静かに笑う』『プロフェシー』のマーク・ペリントンの最新作『ヘンリー・プールはここにいる〜壁の神様〜』がdvdスルーでリリースされた。ルーク・ウィルソン主演で、カリフォルニアの晴天を背景に彼が微妙な表情を見せるパッケージからは、ペリントンも芸風を変えたのか?と思わずにはいられなかったが、見てみると紛れもないペリントン節全開、ほとんど『プロフェシー』と同じような話なのだった。
不治の病に冒され、死の訪れまでを幼少時代に過ごした家の近所で過ごそうと、カリフォルニアの郊外に引っ越してきたヘンリー・プール(ルーク・ウィルソン)。隣人との交渉もなく家に閉じこもるだけの彼の生活が、家の壁に突如現れた謎のシミによってかき乱される。メキシコ系クリスチャンの近隣住民は、それがキリストの顔だと言い、勝手に祭壇を設け礼拝をはじめる始末。そして実際にカッコ付きの「奇跡」が起こるが、ヘンリーはそれを認めようとせず、ただのシミに過ぎないのだと頑に言い張る。
『26世紀青年』(という馬鹿げた邦題でdvdリリースされた「idiocracy」)では肉体知能あらゆる面で「平均的」な男を演じたルーク・ウィルソンだが、ヘンリー・プールという人物が体現しているのも、それとはタイプが異なるながらもある種の平凡さであり凡庸さである。彼にとってはシミはシミに過ぎず、何かの表象ではない。それがキリストの顔だと言い出す人々よりもよっぽど真っ当であるはずのその考えが、なぜかこの世界では異端のものとなる。そのシミを発見した隣のおばさん(アドリアナ・バラーザ)はルークにはそれが顔に見えないのは「見ていない」からであって「よく見てみなさい」と言うし、神父はそれがキリストかどうかはわからないが「額面通りに」捉える必要があると語る。
『プロフェシー』のモスマンの予言は、それが予言であったことがわかった後になっても、そこを予言してどうすんのというものだったが、その点具体的な癒しに帰結する『ヘンリー・プールはここにいる』の「奇跡」は凡庸なまでにわかりやすい。事実ここまで安売りされるとありがたみもなにもなく、治癒すべき病や傷などもともとなかったのだとしても変わりはないのではというところまで行きつく。まるで「奇跡」と呼ばれるなにかが限りなく薄められて、もうただ普通のことでしかないものになってしまうのがあたかもこの映画の狙いであったかのように、ラストのラダ・ミッチェルの台詞は響く。「奇跡」が始まる前の物語の序盤、キリストの顔に見えなくもないうっすら浮かんだシミを見て、見ようによってはルーク・ウィルソンの顔にも見えることを指摘したのも、また彼女だった。