『ウォッチメン』ザック・スナイダー高木佑介
[ cinema , sports ]
1985年。米ソ冷戦時代。アメリカがベトナム戦争に勝利し、ウォーターゲートを経ても未だにトリッキー・ディッキー政権が続いているという設定のこの世界には、常人よりもそこそこ強いスーパーヒーローたちがいる。といっても、過去の栄光を謳歌した彼らの現在は、それほど華やかなものではない。むしろ、核戦争勃発が目前となっている世界を生きる彼らは、全員が何やら暗い闇を抱えながら生きている。ヒーローたちの活躍ではなく、ほぼ等価にスポットライトが当てられる「かつてヒーローだった者たち」の過去と記憶をこの物語はたびたび辿っていくことになるわけだが、恐らく原作に忠実に物語られているのであろう『ウォッチメン』には、とにかくそのような微妙にパラレルなワールドと鬱屈したヒーローたち=仮装私刑集団が登場するのだった。
映画がはじまっても一向に悪者とヒーローの区別はつかない。その点で言えば去年立て続けに見た『アイアンマン』や『ハンコック』は主人公があまりにも楽天的でとても安心して見れた気がする。『ダークナイト』でもバットマンのアイデンティティの揺らぎよりもヒース・レジャーの悪っぷりばかりが目についたので問題はなかったように思えるのだが、この『ウォッチメン』は登場人物たちが自分の役割を演じているというより、ただ画面内を彷徨いているだけの亡霊のようで、見ているとどんどん不安になってくる。実際、彼らの行動が物語に直接的に関わるのはごくわずかだろう。神の力を持つその名もDr.マンハッタンという男も、世界を救うためにたいしたことは何もしてくれないのだ。もちろん、そうしたものが「ウォッチメンを誰が見張る(ウォッチ)するのか?」という意味深げに掲げられている言葉に垣間見ることのできる勧善懲悪的ではないこの作品の大きな主題系でもあろうから、パッと見でヒーローか悪者か判断できないような(加えて、あまり有名ではなさそうな)顔の人々をキャスティングしているのは、必然的な成り行きであるように思える。だとすれば、冒頭で数十年にわたるヒーロー及びアメリカ史がボブ・ディランの「The Times They Are a-Changin'」をBGMに画面をゆるやかに流れ去っていくというベタな演出にしか見えないシーンが、実は周到に用意された戦略的瞬間であったようにも、見えてこなくもないのであった。