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April 23, 2009

「広告批評」336号(最終号)
宮一紀

[ book , cinema ]

 雑誌「広告批評」が30年という長い歴史に幕を下ろした。広告の世界にあまり関心がなくとも、その企画がときとして対象に寄り添いすぎていると感じることはあっても、コンセプトの部分で基本的にブレることのない誌面に概ね好感を持っていた。A5サイズで590円という気楽な価格設定もよかった。
 休刊の理由は部数減や経営難ではないという。そこには同誌が主な批評の対象としたマス広告が時代とともに大きくかたちを変え、また、この数年で企業の広告出稿がテレビや雑誌からインターネットへと主な場所を移した背景も当然あるだろう。いずれにせよ、ひとつの雑誌が役割を終えるには、30年という時間は十分に長い。
 1979年の創刊以来編集長を務め、87年にその椅子を島森路子に引き継いで以降はアドヴァイザー的なポジションで同誌を支えていた天野祐吉は、「広告批評の三十年」と題された文章の中で次のように書いている。
 「世間話のように、広告を語り合える雑誌をつくりたいと思いました。「世間話のように」というのは、専門家の目ではなく野次馬の目で、そして、書き言葉より話し言葉で、といった意味合いです。(中略)と言っても、対象を広告だけに絞る気はありませんでした。広告を含む大衆文化の動向や、人々を動かす「ことば」の移り変わりを見ていきたい。が、それには逆に間口を広げず、「広告」という限定された窓からのぞくのが、いちばんいいんじゃないかと思ったのです」。
 このような創刊当初からの誌面コンセプトを最後まで守り続けて来られたのには、ひとつには天野祐吉と島森路子という創刊コンビが最後まで同誌から離れなかったことが理由として挙げられる。もちろんひとつの雑誌が30年続くというのは長過ぎる感があるのだが、それでも同誌がつねに新しさ、若々しさを感じさせたのは、時代の移り変わりとともに適切な人材にアートディレクションを依頼するセンスがあったからということに尽きるのではないか。横尾忠則、羽良田平吉、服部一成、グルーヴィジョンズといった歴代のデザイナーたちの貢献はことのほか大きい。逆に、これだけの長い期間に渡って、編集部の中に若い世代の台頭がほぼなかったという事実は、広告を批評する側の大きな課題として残るだろう。もちろんこれは広告に限った話ではない。
 最終号には、2009年3月12日から31日までの19日間に渡って開催された「広告批評ファイナルイベント クリエイティブ・シンポシオン2009」が240ページに渡って再録されている。その中では「隠居は青春宣言だ」と銘打たれた横尾忠則、一青窈、天野祐吉の鼎談が実に無責任で面白かった。