『ワンダ』バーバラ・ローデン結城秀勇
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泣き喚く子供の声に顔をしかめながら目を覚ます。この映画の冒頭、ワンダ=バーバラ・ローデンが置かれた状況とほぼ同じ唐突さで、観客は映画の中に引き込まれていく。同じような日常がこれまで継続してきたはずなのに、自分の置かれた状況が理解できない混乱した起きぬけの頭。窓の外に広がるのは荒涼たる採掘場。その中を横切り、裁判所で離婚訴訟を行い、職を失い、行きずりの男と寝て、置いてきぼりを食う。カーラーを頭に巻いたままのあてどない彷徨。そこまで来た時点でも、この映画が『俺たちに明日はない』めいた犯罪者の逃避行ものだとはまだ気づくまい。息を吸い込めば肺の中がびしょびしょになりそうな霧や、置き去りにされたアイスクリームショップで仕方なく買うソフトクリーム、ホテルの窓の外を照らす西陽、そうした風景への理解と主人公ワンダへの理解が同期して進行する。
バーバラ・ローデンと同じく生涯に一本だけ監督作を残した俳優、チャールズ・ロートンの『狩人の夜』は様々なジャンルにおけるストーリーの雛形が発展し別のものと結びつき、何か巨大なものに至るような感触を見るものに与えるが、この『ワンダ』もまたそれとは別な意味でシンプルなショットの積み重ねが思いもよらぬ方向へと観客を導いていくの感じる。それはあらゆる持ちえたものを失い、そこから這い上がるチャンスなどまったく望めないワンダが、ただひたすら目の前の出来事に反射的なリアクションを重ねていくこととに関係があるだろう。マルグリッド・デュラスが、ワンダとそれを演じるローデンの間に完全な一致があると言うとき、それは単なるひとりの登場人物の造詣に留まるものではなく、この作品が持つ世界への視線の投げかけ方の問題とも関わっている。この特集で作品のセレクションを行ったステファン・ドロームの解説によれば、男性の登場人物が身に着けている衣装は、ローデンの夫であるエリア・カザンが昔着ていた服だという。この作品が非常に低予算で作られたことを物語るエピソードだが、そのせいなのかどうなのか、この作品の中の男性は皆どこか自分に向けられた幻滅を身にまとっているように見え、ワンダは彼らに可能性はまったくないと言っていいほどのかすかな希望をなんとか持とうとしているようにも見える。
先日、中原昌也氏が『ミルク』『フロスト×ニクソン』『ウォッチメン』など、歴史的な敗北を検証するかのような映画が数多く作られている風潮について考える必要があるのではと語っていたが、『ワンダ』はそんな時代にこそ見直されるべき一本であるだろう。