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May 9, 2009

『ミルク』ガス・ヴァン・サント
梅本洋一

[ cinema , cinema ]

 ぼくらが『エレファント』や『ジェリー』、そして『ラスト・デイズ』などに夢中になっていた時代──つまり、今からほんの少し前のことだ──、アメリカではガス・ヴァン・サントという固有名はまったく忘れられた存在になってしまっていた。確かにそうかもしれない。せっかくハリウッドでそこそこの地位を獲得したというのに、彼は『マラノーチェ』を撮ったホームタウンのポートランドに帰ってしまい、インディーズの映画作家として、ぼくらが吉祥寺のバウスなどで熱狂した作品をひっそり撮り続けていたのだった。
 だから『ミルク』は、彼のハリウッドへのカムバック作ということになる。ハーヴィー・ミルクを演じたショーン・ペンがオスカーの男優賞を獲得したのは、ガス・ヴァン・サントによってとてもよいことだったろう。何よりも追い風になったのは、バラク・オバマが大統領に当選したことだ。このフィルムの中の記録映像の部分には民主党の政治家、特にジミー・カーターが登場するけれども、やはり、このフィルムは、共和党政権下では決して歓迎されないだろう。『ミルク』では、かつてCMガールだった女性が、ゲイの公民権剥奪キャンペーンをやっていて、それにハーヴィー・ミルクが対抗する件が後半の中心になる。同時代に大学生だったぼくは、そんなことはぜんぜん知らなかったけれども、それらのシーンを見ていて、何度も既視感に襲われた。これは見たことがある。それもつい最近。そうだ! 共和党のジョン・マッケインの傍らに居た副大統領候補のサラ・ペイリンの映像をたくさん見たからだ。アメリカの家族、母親、モラル──サラ・ペイリンもそんなものを表象していた。つまり、このフィルムは、70年代の物語でもあるけれども、決してそればかりではない。今だって同じなんだ。そう思って、『ミルク』を採り上げている何本かの批評を読んでみた。するとジャン=マルク・ラランヌがこんなことを書いているのを読んだ。このフィルムでハーヴィー・ミルクのライヴァルの市政委員ダン・ホワイトを演じているジョシュ・ロビンが、オリヴァー・ストーンの『ブッシュ』ではタイトル・ロールを演じているというのだ。つまり、ブッシュ的なるものとオバマ的なものが、このフィルムの主なる要素となっているとうわけだ。
 だから、このフィルムは、単に歴史の再構築を多様な資料映像とフラッシュ・バックで組み立てたものであるばかりではない。それよりも、とてもブレヒト的な意味で、このフィルムは教育的なフィルムなのだ。そこには異化効果と弁証法が常に存在している。このフィルムはハーヴィー・ミルクの最後の8年間を描いたフィルムなのだけれども、それだけではない。今のアメリカも、ひょっとしたら、今の世界の全体も、このフィルムが表象するものかもしれない。それにぼくらは知っている。ガス・ヴァン・サント自身もゲイであることを。だから、彼は、もっと、自分に近い存在としてミルクを描いていい──たとえば『マイ・プライベート・アイダホ』のリヴァー・フェニックスみたいに──のに、そこに微妙な距離が存在して、その微妙な距離が、ショーン・ペンの演技を支えているように感じられる。とても興味深いフィルムだった。