『久生十蘭短篇選』川崎賢子 編高木佑介
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1920~30年代についての特集を組んだ「nobody」誌最新号の編集中にも、たびたびその名前が挙がった久生十蘭。といっても気軽に著作を探してみてもどうも在庫切れやら絶版ばかりが目につくし、とはいえ去年から国書刊行会より出版されている少々高価な全集(全11巻になるという)にも手が出せず、さてどうしたものかと考えていた矢先に岩波文庫より短篇集が5月に出たので、これ幸いと購入。定価860円。
本書は1937年に「新青年」に掲載された『黒い手帳』の1篇を除き、第二次大戦後に発表されたもの全15篇から成る。『黄泉から』、『予言』、『鶴鍋』と順番に読み進め、続く『無月物語』、『黒い手帳』を読み終えたところですでに金を払って買ってよかったという満足感を得られてしまうのだから、電車の中の暇つぶしには少しもったいない気になってしまう。それでも読まずにはいられないので、電車を降りたあともホームのベンチでしばらく読みふけってしまった。1957年に55歳で逝去した久生十蘭の「戦後」はおろか「戦前」の作品についてもさして把握できていない僕には、本書のセレクトの良し悪し云々については判らないが、それにしても西洋近代文化や戦後経済を咀嚼しながら、さらりと文中に刻み込んでいく久生十蘭の手つきには舌を巻く。「安部忠良の家は十五銀行の破産でやられ―」という書き出しで始まる『予言』(47年に掲載)も、物語の正確な年代こそ明記されてはいないものの、実際の東京第十五銀行が帝銀に吸収合併されたことを書いているのであろうし、もともとは華族であった主人公・安部忠良の没落/体たらくぶりからも、もちろん文体こそ違えども、同じく華族制度が廃止された47年に連載されていたという『斜陽』と同時代の空気を呼吸しているのがその凝縮された文字の連なりからたしかに感じられるように思う。加えて、「世界大戦をはさんで、越境者、漂泊者、移民、日系二世、混血、難破・漂流、行きくれて国家の庇護をはなれてしまった人びとの境涯、かれらの生きる多言語多文化空間のあれこれは、久生十蘭のきわめて重要な文学的主題だった」と文末の解説で編者が記すように、久生十蘭の小説はちょっと昔に流行った「グローバル」という言葉が孕む響き以上に外部の世界の存在を感じさせてくれるのだった。当然のように挿入されているフランス語も読んでいて心地が良い。
これを一通り読み終えたところで、さしあたりいま読んでいるのは古本で買った『魔都』。新聞記者や敏腕刑事、財閥から警察機構、町のヤクザものまで、様々な人々の思惑が帝都・東京に入り乱れ、ページを繰っても繰ってもいったいどう収拾がつくのか皆目見当つかないのだが、とにかく面白くてしょうがない。勢いで『十字街』もAmazonで注文してしまった。もうしばらくは久生十蘭に病みつきになっていると思う。