『BUILDING K』藤村龍至藤原徹平
[ architecture ]
大変若い建築家(建築家は40代でも若手だから、30ちょっとの彼は大変に若い)藤村龍至氏の手がけた集合住宅『BUILDING K』を見に行った。場所は高円寺駅前の商店街沿いにある。押し出し成形セメント板のざらっとした感じと、塔状のボリュームが寄り添ったような外観形状が印象に残る建物で、何が印象的かというと、すごく凝った感じのボリューム構成とすごく適当そうに見える外壁材とのアンバランスな組み合わせが、普通でない。すごく丁寧につくったフランス田舎風煮込みを100円ショップで買った陶器の器に盛るような感じかな。少し違う気もする。まな板がテーブルマットで出てきた感じか。
藤村氏はこの『BUILDING K』を設計しながら、「批判的工学主義」という思想を同時に考えたらしい。簡単に言うと社会の商業化の流れに乗ることなく逆らうことなく、ドライにやろうぜ。ということだと理解している(これは私流のいい加減な理解だから、興味のある人はきちんと調べて欲しい。)。集合住宅をつくる上で、ディベロッパーにとってメリットとなる要素をまずはドライに考えようということがまずあるみたいだ。例えば、「容積率を最大に取る」とか「サッシを統一する」とか。
あとは、案をスタディをしていく際に考えた重要な発見「ボリュームの分散」や「角のラインを消す」や「開口のゆらぎをなくす」などをそれと等価に要素に加えて、21の要素を線形的なスタディの評価軸として持ち込んでいる。
この感覚は、さすがにファミコン世代以降だという気がする(彼がゲームをするかは知らない)。藤村氏が描いた21のメリット対応表はゲームの攻略本でみたことあるような種類の表だ。こうした感覚のスタディプロセスは、どの設計事務所でもやっていることだろうが、途中であいまいになったり、ボスの飛躍によって、評価軸そのものが全くやり直しになったりするものだ。あるいは発表する媒体ごとで違う語られ方をしてしまう。しかし、藤村氏はこうして攻略本的チャートを作品に添えるという行為を通して、そうした論理や説明の飛躍をしない誠実なゲームデザイナー+プレイヤーであるということそのものを、表現として提出したいのだろうと推測される。
そのナイーブな提案は、多くの議論を生んでいるようだ(建築学会の雑誌で2度特集されている)。彼のこの態度を作家性の新しい捏造方法だと一蹴する人も居るし、結果できた作品だけを語ればよいのにと残念がる人も居るし、思想を提出したことをとてもほめる人も居るし、作品そのものに価値がないと言う人も居るし、ディテールの感覚の欠如を語る人も居るし、屋上が面白いんだと言う人も居るし、設備や構造の計画のユニークさをほめる人も居る。
私には、作品の優劣よりか、こうした多様な感想を生んでいることがなかなか興味深い。先日梅本氏がnobody net上でヴォーリーズの建築を支持しないと発言していた。レーモンドがよくてヴォーリーズがだめという視点は、私個人は大変よく理解できる感覚だが、保存運動に関わる一般人からすると全く理解ができないことだろうと思う。そのまま、東京中央郵便局やら歌舞伎座やらの保存の問題にも関係する。つまり、一見似たように見える事象の背景には多くの要素が含まれているということだと思う。抱える背景についての議論をこれだけあぶり出してしまう藤村氏だったら、うまいこと別のことだと導いてくれそうでもある。
藤村氏が言いたいことは、多様な議論の中で、まだクリアには見えてはこないが、折角こうして設計をまさに説明・解説しようとしているのだから、本質が「21の表によって設計したことが凄いだろ」ということでなく、「『BUILDING K』が凄いだろ」ということでもなく、「新しい設計手法や新しい思想」ということでなく、どうか「僕たちの社会は商業主義ではなく民主主義ですよね」というような社会の根幹に対する深い問いであってほしいなと思う。変数の無意識化、非表面化に対して、批判的でありつづけて欲しいと思う。