« previous | メイン | next »

July 13, 2009

建築家 坂倉準三展 モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン
梅本洋一

[ architecture , cinema ]

 アテネフランセで映画を見ることを学び、東京日仏学院でフランス語を学び、渋谷パンテオンでハリウッド映画を見、東急名画座でかつての名画を多く見たぼくにとって、もっとも時間を過ごした建築の作り手は明らかに坂倉準三だった。アテネフランセも同じルコルビュジエ門下の吉阪隆正だから、東京日仏学院やパンテオンや東急名画座が入っていた今はなき東急文化会館の設計者である坂倉準三という固有名は極めて重要なものだ。
 その坂倉準三のふたつの回顧展が同時に開催されている。ひとつは坂倉自身の最高傑作と言われる鎌倉の神奈川県立県立美術館鎌倉館の「モダニズムを生きる」と題された回顧展、もうひとつは汐留ミュージアムの「モダニズムを住む 住宅、家具、デザイン」展である。今回は、汐留ミュージアムに行ってみた。汐留に展示されているのは、坂倉と一緒にルコルビュジエに学んだシャルロット・ペリアンとの協働作業の家具など、日仏学院の椅子は展示されていたが、上記のぼく自身の体験とはやや異なる角度から坂倉の作品が展示されている。わけても等々力にあって、近年、軽井沢に移築されオテル・ドゥ・ミクニのレストラン・チェーンになった坂倉の日本での住宅作品の第一作にあたる飯箸邸から始まり、藤山愛一郎邸、松本幸四郎邸など、彼の住宅作品がその展示の中心である。確かにどの邸宅も細部に至るまで工夫されていて、同時代の住宅としては極めて革新的な作品になっているだろう。
 だが、これらの住宅作品は、日本の住宅建築に影響を与えているのだろうか? その疑問符は、展示を詳細に見るとますます大きくなる。彼の日仏学院や東急文化会館の重要性が次第に大きく感じられるにつれて、彼の住宅の特殊性が際立ってくる。こうした疑問を前にして、「住宅建築」7月号に掲載された磯崎新の「坂倉準三の居場所2」を読む。その文章は非常に示唆に富むものであって、「モダニズムを生きる」展のカタログに掲載されたという「坂倉準三の居場所1」を併読しないかぎり、簡単な要約をすることは慎んだ方がいいだろう。しかし、その半分を読んだだけでも、磯崎の坂倉論は興味深い。まず坂倉がパリから帰国後多くのフランスの文化人と日本の文化人の会議を組織した(この種の会議はいまだに性懲りもなく開催されているが)が、そのフィクサーが旧文部省の外郭団体にいた国体精神文化を研究する小島威彦という人だったという。コスモポリタンにも感じられる坂倉の経歴と右翼思想家との奇妙な遭遇には誰でもが興味を抱く。また磯崎は彼の住宅はいずれもセレブの大邸宅であり、戦後の住宅としては例外に属するものであり、51Cという住宅公団の基本形が日本のランドスケープを覆い始める時期に、このような住宅を生んだことで、坂倉の建築史上を困難にしていると磯崎は言う。坂倉の住宅建築の詳細の影響力のなさは、彼の住宅建築の態度そのものに起因しているとさえ思える磯崎の論調の是非については、「坂倉準三の居場所1」を読み、鎌倉に足を運んでから論じるべきだろう。だが、こも問題は、とても重要な問題であるように思える。

汐留ミュージアム ルオーギャラリーにて開催中 2009年7月4日(土)~9月27日(日)


建築家 坂倉準三展 モダニズムを生きる 人間、都市、空間
神奈川県立近代美術館 鎌倉館にて開催中 5月30日(土)~9月6日(日)