『そんな彼なら捨てちゃえば?』ケン・クワピス結城秀勇
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ベン・アフレック、ジェニファー・アニストン、ドリュー・バリモア、ジェニファー・コネリー……と続く名前の列に近年でも珍しいラブコメ大作の香りを感じるが、なんのことはないアルファベット順での表記である。「SEX AND THE CITY」のスタッフによる原作をもとに描く恋愛群像劇ということになるようだが、この群像を形成する群がいったいどのようなつながりによって成り立っているのかが希薄だ。まるでこの映画に登場する人々しか住んでいないようなひどく小さな町で、知り合いの知り合い程度の範疇に収まってしまう人々がそれでも周りとは無関係にそれぞれ勝手に生きているという感じがした。いくつかのカップルが生まれたり別れたりするが、ひとつひとつが他のカップルに影響を波及させることはない。
それは上映時間のほとんどでシネスコの画面を埋めている顔のアップのあり方に関係している気がする。上記の名前の順列とは裏腹に、この映画で中心になるカップルは『ウォーク・ザ・ライン/君に続く道』のジニファー・グッドウィンと『ダイ・ハード4.0』のジャスティン・ロングなのだが、ここで目にするのはそれら代表作におけるような映画的な表情よりもむしろ、テレビドラマで共演したこともあるという彼らの表情なのだという気がしてならなかった。一方でこの映画の中で最も映画的な切り返しは、ジェニファー・アニストンとベン・アフレックのふたりの間で起きる。妹の結婚式で心臓発作を起こして倒れた父(クリス・クリストファーソン!)を看病するアニストンのもとにこっそりやってくるアフレックのあの惚けたような表情と、それに応えるアニストンの思わず泣き出してしまう顔にはなんだかグッときてしまう。そうした演技の質の異なるいくつかのエピソードが『恋人たちの予感』めいた擬似インタヴューでつなぎ合わされていくが、そのどれもが違った場所で別々に起きていることというようにしか見えない。
もともと「フレンズ」の女優であったはずのアニストンが見せる「映画的な」表情と、これだけの俳優を使っても総体として映画になっていないこのテレビドラマ的な原作を持つ作品の関係にはなんだか考えさせられる。そうした意味でこの作品の製作総指揮にも名を連ねるドリュー・バリモアの存在についても一言述べておかねばなるまい。スカーレット・ヨハンソン(そういえばこの映画でもまた「誘惑に失敗する女」の役だ)の友達として登場するが、ほとんどどうでもいい小ネタ程度しか出番のない彼女が、映画の最後に運命の出会いをする。『そんな彼なら捨てちゃえば?』という1本の映画よりも、描かれることのなかったドリュー・バリモアとケヴィン・コナリーのその後を映画化した方がおもしろそうだった。
まるで何本かの映画をごちゃまぜにした予告編を見せられているようだった。
8/1より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー