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July 20, 2009

『VISTA』佐々木靖之
田中竜輔

[ cinema , cinema ]

 瀬田なつき監督作品や濱口竜介監督作品等々、近年話題となった多くの若い映画監督たちのキャメラマンを務める佐々木靖之初監督作品である本作『VISTA』が、第31回ぴあフィルムフェスティバル・コンペティション部門PFFアワードに出品されている。上映終了後の舞台挨拶では、本作はアントニオー二『欲望』の強い影響下にあると佐々木監督本人に語られていたが、しかしもちろんそれは単なるコピーというわけではなく、映画作家の「目」を請け負うキャメラマンとしての在り方が明瞭に刻まれていながら、自己言及的な構造もそこに介在させた堂々たるフィクションとして仕上がっていた。
 冒頭、カーテンによって遮光された部屋のベッドに腰掛ける人物がほかならぬ濱口竜介監督であるということに驚くが、しかしその驚きは、部屋に差し込む光や外側の音響を繊細に取り込んだ画面の充実によってすぐにかき消された。男は同居する女に向かって、なぜ自分の洗濯物は取り込んで俺のものは取り込まないのかと問いつめる。しかし女は答えない。彼女は彼の言葉が聞こえていないかのように電子ピアノを無言で弾き始めるが、そこに音色はなく、キーボードのバタバタとした音だけが響いている。ここには調和はない。決して異様なものがあるわけではないが、当然のようにそこにあるものがどうにも収まっていない場所として、この部屋は声をひそめている。女は静かにその家を立ち去る。
 男は、風景画を描くひとりの画家のドキュメンタリーを撮っている。歴史的・社会的な要素というものをできる限り排除し、純粋な線と色彩の芸術形式としての絵画を描きたいと語るその画家の言葉は、ある真実を語っているかもしれない。しかし『VISTA』というフィルムが見つめようとするのは、そして男が取りつかれるのはどれほどに対象を映像として純化させようとすれども、どうしようもなくそこに紛れ込んでしまうあらゆる余剰の存在とでも呼ぶべきものだ。「ドキュメンタリー」として捉えようとしたごく普通の風景に侵入した赤いスカーフの女はサスペンスへと彼を誘い、彼は自分が実際に見た風景と映像との曖昧な境界に立たされることとなる。そしてある決定的な事件の場で、「切り返し」というひとつの魔法において、彼は「映像」と「現実」を相互に見つめることを兼ねた人物であることから、「映像」の内部の人物、フィクションの人物へと越境する。 
 目の前に広がる風景と映像が織りなす幾重にも重なるデジャ・ヴュにおいて、ただひたすらに打ちひしがれる男の姿は、それまでは軽く口をついて出たような物事への断言を失った彼の声の震えは、彼が不幸にも現実と映像との間における悲劇/地獄へと身を投じたということを示しているのか。否、そうではない。むしろ彼は、ひとつのチャンスを手にしたのだ。なぜならばラストシーン、再び男の部屋において、それまでどこにも鳴り響かなかったはずのある「声」が生み出される瞬間、そこには映像と音声の出会いの、このうえない幸福を実現する瞬間としての、ミュージカル・コメディの片鱗が顔を覗かせているからだ。

第31回ぴあフィルムフェスティバル 東京国立近代美術館フィルムセンター大ホールにて開催中
本作『VISTA』は7月26日(日)14:00~上映予定