『麻薬3号』古川卓巳結城秀勇
[ book , cinema ]
海。反対側には山。国鉄の機関車が走り過ぎる神戸駅からタクシーに乗って繁華街を通り過ぎると、傾いたトタン屋根が複雑に入り組んだドヤ街がある。狭い路地に南田洋子が足を踏み入れたとたん、まだ陽も高い時間帯だというのに画面の面積の約半分を奇妙な幾何学模様を形成する影が占領し、それが昼下がりの強い陽光に照らし出された空間に対してくっきりとしたコントラストを生む。立ち並ぶ建物のうちのひとつの中に彼女が入り込めば、薄暗い建物内部に窓からの日の光が差し込む同様のコントラストの中に長門裕之のスタイリッシュな姿が浮かび上がり、まぎれもないノワールの香りが匂い立つ。
だが、線路と映画館、突堤、長門裕之の事務所、アヘン窟めいたヒロポン中毒のたまり場と、いくつかの場所の反復によって無国籍な都市としての架空の神戸がその姿を強固にするに連れ、ふと気付けば長門と南田の視線に誘われて観客は海を眺めている。神戸がそのダークな魅力を確かにすればするほど、その外の世界が意識される。南田との生活のために長門はここではない何処かへ脱出しなければならない、しかしそのためにはこの黒い街のより深いところへ一旦その身を沈めねばならない。南田は長門をこの街から連れ出したい、しかしそのために彼女はこの自分の居場所のない世界に留まり続けなければならない。あらゆる組織的な思惑を越えて暴走し始める長門の行動によってカメラは神戸から大阪へと飛び出すが、そこもまた一皮むけばここと同じような場所なのであり、今度は長門はそこに縛り付けられて神戸に戻ることすら出来なくなる。
女とともにここではない何処かへ。その悲痛な思いだけで幾多のアクションをくぐりぬけてきた長門が、南田の待つ下宿へ向かう途中に道に迷ってしまう時、山と海に挟まれたこの街において安定した生活を象徴する山の上へたどり着くまでの斜面には死の危険が横たわっていたのだということを思い出すだろう。この物語のきっかけとなった男に長門が初めて声をかける場所は斜面に広がる壮大な墓場であった。ラストの教会で、パイプオルガンを弾く影がふたりを冒頭の光と影から為る街へと連れ戻す。しかし最後に俯瞰される、海と山の間の大きな道路がここではないどこかへと延びているのかもしれないという可能性を、この映画は排除していない。